ありのままの田舎暮らし

2008.12.17

第12話  Yes we can.We can changeの巻

里山の味 天然工房

--求められる真の農業政策--

 郡山と須賀川の境に、お勧めの自然食レストランがあります。その名は「銀河のほとり」。
 うまい、安い、しかも安心と三拍子揃って文句の付け様がありません。私達の評価は星5つ、ミシュランの格付けなんのその、銀河のほとりを差し置いて星の数を自慢するなど差し出がましいとはこのことです。

 このお店、定期的にちょっとしたお祭りともいえるイベントを開催するのですが、エコロジカルな企画趣旨に賛同、共感する多種多様な人々が集まってけっこうな盛り上がりになります。
 歌あり、踊りあり、そして何より美味しくしかも健康的な食物が沢山用意されますので、誰でも大満足の1日になること受けあいです。


 私達夫婦にとっても生活に潤いと刺激を与えてくれる大切なイベントとなっていて毎回多少の無理をしても出かけるようにしています。

 今年の夏のことです。残念ながら私に用事が入ってしまって妻だけが参加したことがありました。
 イベントが終わって戻った妻から1日の楽しい出来事の様子を聞いていたのですが、一点だけ私たち夫婦が考え込んでしまった話題がありました。

 それは天然酵母パンを売っていた若い女性のこと。20代のその女性、たった一人で東京から福島の山の中に移り住み有機農業を始めたとのことです。しかし、当然のこととして生活は苦しく、そのため多少でも現金収入になればとパンを焼いて売っていたそうです。

 20代の若い女性が有機農業をやると決めて東京から移り住む、それもたった一人で。
 その勇気と行動力は私達夫婦の比ではありません。決断までの悩みと逡巡はいかほどであったでしょうか、想像にかたくありません。


 この女性に限らず、環境意識の高まりと共に若い世代にも田舎回帰の流れが生まれてきています。
 それに呼応する形で、地方でも就農を目指す若者たちを受け入れる公的機関や、あるいは地域住民が協力して農業技術を教えて独り立ちできるまで支える民間施設ができてきています。

 ただ、私達夫婦が考えこんでしまったというのは、現在の日本に果たして農業で自立できる環境があるのか、という点です。
 有機農業を学びノウハウを身に付け、土地を手にいれて農産物を作る。それを売って収入を得て、家庭を築く。そうした志を持つ有意な若者を今の日本は許容しているのだろうか、そう考えた時その答えは残念ながら懐疑的と言わざるを得ないのです。

 ということで、今回は農業問題、日本の農政について考えるところを述べたいと思います。


--農業では生活が成り立たない--

 過疎化、高齢化に伴い農業・林業の担い手は減少の一途をたどり、田んぼや畑は耕作放棄地となって、ススキ・雑草が伸び放題、山も荒れて密植された針葉樹が間伐も枝打ちもされずに見捨てられている、そうした状況は移住する前にテレビや新聞の報道を通じて知っているつもりでした。
 しかし、こちらに来て事前の知識どおりの実態を見て、また地域住民の声をきいて、その深刻さを改めて目の当たりにすると「今の日本をなんとかしなければならないのではないか」と真剣に思うようになって、衰退していく農業、過疎化に歯止めのかからない農村に対して効果的な手立てを講じない政府、行政が歯がゆくて仕方なくなるのです。


 こちらに来てつくづく感じるのは、山村・農村は今社会問題となっている格差社会、まさにその犠牲者であるという点です。
 都会の友人に田舎生活について聞かれた時も私はその視点を抜きには話が出来ません。

 格差社会の犠牲者といえば、昨今の派遣社員の首切り、内定取り消しや、非正規社員を中心としたワーキングプア、ネットカフェ難民の増加、また平均年収が 200万にも満たない母子世帯や老々介護世帯、および生活保護世帯の急増など話題に事欠くことありませんが、地方格差については取り上げられることも少なく、またその本質が語られることもほとんど無いように感じます。

 地方格差の解消といえば、道路作りの免罪符としてしか取り上げられないではありませんか。
 しかし、道路族議員が念仏の様に「道路作れ、道路作れ、道路作れ」と唱えて、その時にだけ「地方格差の解消」を金科玉条のお題目に掲げても、実際に格差が解消することなどあり得ません。
 地方格差の実態を明らかにしてその上で、改善のための抜本的な施策を行うといった本当の政策ではないからです。


 都市部と地方の格差として決定的なのが「経済格差」です。私達の集落、また近隣で専業農家を見ることはありません。
 理由は単純明快、農業だけでは食べていけないからです。

 畑には野菜が植えられ、秋には稲の穂が金色の輝く田んぼが目に入るのですが、実はそれは片手間の作業によるもの。そうした一見農家の人達も山の仕事であったり町中の企業に就職していたりして、本業を別に持っているのです。

 友秋さんは米作りを縮小し家の前の数反歩だけ、山の仕事の合間をぬってお米を作っていますが、そうした友秋さんの農作業に周囲は冷ややかな視線を向けています。
 「米作るなんて馬鹿じゃねえか、借金こさえるだけだ」

 この秋、刈り取りをやっている友秋さんに話を聞いてみました。
 「コンバイン借りるだけで1反歩(300坪)3万円かかるんだよ、そのお金払ったら後には何も残んね。肥料や薬の代金引いたら赤字だよ。コンバインさえ持ってれば少しは金になるんだろうけど」


 1反歩で収穫されるお米は5俵ほど、良くて6俵です(1俵は60キロ)。農協の米の買い取り価格はその年により異なりますが、価格の安い寒冷地米しかとれない当地では大体1俵1万円から1万2000円ほど。
 すなわち、1反歩あたり6万前後にしかならないうち、3万円、ちょうど半分が刈り取り費用で持っていかれてしまうのです。

 それではコンバインを持っていれば利益が出て、米作りで生計が維持できるのでしょうか。
 友秋さんより少し手広く米作りをやっている、長治さんの刈り取りを手伝いに行ったときのことです。
 「この前は中古のコンバイン買ったんだけど、故障続きでだめだった。それで新品を買ったんだけどやはり数年もすると故障が多くなる。これはこの前修理してもらったばっかりだから大丈夫」
 そう言って刈り取りを始めたものの、動いては止まり、動いては止まりの連続。
 動いているときは確かに効率よく刈り取って、お米をコンバイン内に溜め込み稲ワラを紐で結びながらポン、ポンと調子よく吐き出すものの、いかんせんあっという間に止まってしまいます。


 私達夫婦や手伝いに来た人達は、長治さんがコンバインを直すのを見ながらあぜに座って世間話、結局この日は修理しきれずに刈り取り中断となりました。
 このコンバイン、軽ワゴンより一回り大きいくらいですが購入価格は約250万とのこと。長治さん、「ローンを払い終わるころにはまた次の買わなくてはならなくて、いつもローンを払ってる」と笑っていました。
 コンバインは使い方にもよりますが10年持てば良いほうだそうです。維持費、修理代、燃料代を考えると「反(300坪)」単位ではなくて、「町(3000坪)」で米作りをしないとメリットは出ないことになります。
 地元の方々の平均的な耕作面積を考えれば、コンバインを持っていれば利益が出るというものではないことは明白です。
 友秋さんにコンバインのリース料を聞いたとき、「なんて高いんだろう」と思いましたが、長治さんの刈り取りを手伝ってみれば1反部3万円の刈り取り料は妥当だと認識が変わってしまうのです。

 かくして、お米を作っても収入にはならず、かといって他の農産物でお金が稼げるわけもなく、農業で生計を立てることは不可能ということになります。
 しかし、安定した収入を得られるような企業は山村には存在せず、結果的に中山間地に暮らす人々は経済的に追い詰められることになるわけです。


 この、都市との経済格差は必然的に教育の格差を生み出します。
 「役場に勤めることの出来た者だけが子供を大学にやれる、そうじゃなければ子供を大学にやることはできねえ」この言葉を幾度聞いたことでしょう。

アラ50の同世代の人から「自分たちの時の高校進学率は約50%、中学3年で進学組と就職組に分けられるがそれはちょうど半々だった」そう聞いてショックを受けたことがありました。
 私の場合、中学3年の時、クラス43人中、中学卒業で就職したのはわずか1名、しかもその生徒は2年の時に地方から転校してきた女の子。成績は上の下くらいだったと思います。いつも真ん中より上でした。学業不振が高校進学を断念させた理由ではありません。

 教育格差は、情報化社会の進展がより一層の拍車をかけます。
 前にも書きましたが私の電話回線は未だにアナログ、実質的にネットが使えませんし、携帯も電波が届かず使えません。この地域、ネットに接続している人もいるのですが、その数多いとは聞いていません。
 都市ではネットが当たり前、どのような情報も瞬時に得ることが出来るどころか、生活のあらゆる場面でネットが有効利用されるようになってきています。しかし、地方は取り残されたままで、情報の格差が拡大し続けているのです。


 経済格差、教育格差、情報格差、そしてマスコミで連日流される都会での華美に彩られた表層的な生活は心理格差を生み出します。
 地域の人達が、本当は豊かであるはずの生活に自信が持てないのも当然、若者達が都市にあこがれ流出するのも当然、それを止められない親もこれまた当然なのです。

 地域の方たちは田舎から都市への流れに逆流した私達を変わり者として見ます。そして「私はこういうところで暮らしたかった。こんな良い所はありません」という言葉を「本当にそうなのだろうか」といった面持ちで聞くのです。

 私は心の底からこの地区、那倉の生活を豊かだと思っています。
 私の思う豊かさについてはまた改めてご報告しますが、もちろん世間一般でいう経済的豊かさではあるはずはありません。従ってお金や物ではなく、心の充実を求めて若者がやってくるのは十分理解できるのですが、果たして生活の基盤を憧れの有機農業だけで築くことができるのかというと、私は「難しい」と否定的にならざるを得ないのです。

 現状を変えないまま、若者の志だけを評価して美徳のごとく言う風潮はやはり無責任と言わざるを得ず、抵抗を感じてしまうのです。


--鮫川村はえらい--

 それでは地方と都市の格差解消の有効な手立てはあるのでしょうか。

 負の連鎖の原点が経済格差であることは明白ですので、そうであればまず経済格差からなんとかしなければなりません。
 農業で食べていける、生計が維持できる、子供に十分な教育を受けさせることができる、その保障があれば農業を止めざるを得なかった人達も戻ってきますし、就農希望の若者も受け入れることができます。親も子供達の都市への流出を止めることができるでしょう。

 実は、私はその解決策、施策は決して難しいこととは思えないのです。

 農作物を政府が適切な価格で買い取ればいいだけではありませんか。その制度を作ることはそれほど難しいことなのでしょうか。


 その実例を鮫川村が行っています。鮫川村では大豆で村おこしを政策に掲げ、村内で生産された大豆を買い取っているのです。作業に見合う価格で村が買い取りを保障するならみんな大豆を作るようになります。
 結果として農業から身を引いていた高齢者が耕作放棄地を再び畑に変えるようになりましたし、買い取った大豆を豆腐、納豆、おからコロッケなどの加工食品として村の農産物販売所で販売していますので、これを目当てに近隣の市町村からも人々が集まってきます。
 この大豆、遺伝子組み換えではありませんし、おまけに低農薬にすることを決めていますので、作る方も買う方も安心。さらにフードマイレージも低いとあって文句のつけようがありません。

 これこそ真の地域活性化であり、住民のための政治ではありませんか。

 米が余っているからと減反を強いる政府、米が余っていて倉庫代がバカにならない、そういうのであれば小麦、大豆、とうもろこし、その他農産物の買取制度を設ければいいでしょう。
 米以外の作物が高値で売れるのなら農家は転作して米の生産は減少するに決まっています。

 こういうと必ず言われるのが、


 「買い取る金がない、財源をどう確保するんだ」

 でもそうでしょうか。

 世界の最貧国の北朝鮮脅威論ほどバカバカしいものはないと私は思っています。
 木造小型漁船に時代遅れのソ連製のライフル乗っけて日本海を警戒させているような国、食糧援助、エネルギー援助を得るための口実に核開発を持ち出しているだけの国に対して、アメリカ、ロシア、中国などの大国の核武装と同列に論じて脅威だ脅威だと騒ぎ立てるのは無理がある以上に滑稽ですらあります。
 軍備に湯水のように税金を垂れ流すのを少しでも見直し、アメリカがぼったくり価格で売りつける戦闘機1台でも購入をやめて、その費用を農業支援にあてれば国産穀物買取制度の創設は難しいことではないと思うのです。

 農産物の買取を政府が実施すれば、食糧自給率が上昇するのは必然、それはアメリカの属国から、真の自立した国への転換の第一ステップでもあるはずです。

 現在の為政者に「本当の国益を考えて、国民のための政治をやってくれ! チェインジ!」そういったらきっとこう答えるのでしょうね。

「私はあなたとは違うんです」

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