ありのままの田舎暮らし

2009.03.08

第17話 コタツは豊かさの証明だの巻

里山の味 天然工房

 初めて田舎に来て戸惑うことの一つにコタツがあります。
 地元の方を訪ね、玄関を開けてまずはじめに目に入るのはコタツ、そのコタツにお父ちゃん、お母ちゃん、子供達が入って、テレビを見ながら食事の最中だったりして、思わず「あっ、どうも、食事中失礼しましたっ!」って謝ったりしたりするのですが、何も玄関開けてすぐにコタツを置かなくてもいいのではないか、家が狭いのならいざ知らずどこも充分に大きい家なのだからもう少し別の間取りがあっていいのではないか、当初そう思いました。
 都会の人達に、玄関を開けてすぐにコタツを置くといった発想が生まれるでしょうか。
 玄関を開ければ廊下があって居間や客間はその廊下の奥にあるのが常識のはず、田舎の人達の発想はおかしくないか? 都会で育った人間なら誰でも感じる疑問ではないでしょうか。


 しかし、田舎で暮らして地元の方々と交流が生まれ、どっぷりと田舎に漬かって身も心も田舎人になった今、「玄関を開けたらコタツだ!」が自然だと思うようになりました。
 そして、玄関を開けてどうしてコタツがあるのか、その疑問が氷解し必然性が分かった時に、社会の豊かさというものの本質、日本人の社会の理想的なあり方というものが理解できたのです。

 この田舎暮らしレポートでは地元の方々の名前を「ちゃん」付けにしたりして、あえてくだけた表現にしました。地元ではみんな苗字を呼ばず名前で呼びます、一軒の例外を除いて。
 その例外とは言うまでありません、我が家です。
 都会での生活と違って田舎では地域の集会が頻繁にあって、その中には点呼のある場合も結構多いのですが、その際も必ず苗字ではなく名前が呼ばれます。目上の方にはもちろん「さん」付け、年齢が近かったたり年下の者には普段呼んでいる愛称、あるいは呼びつけです。
 私はこの地区で疎外感を味わったことはありませんので、自分だけが仲間はずれになっているといった反感に近い感情は持ったことがないのですが、やはり自分だけがいつも苗字で呼ばれる寂しさは感じます。


 ですので、お互い名前で呼び合う関係が羨ましく、このレポートでもあえて親しみをこめて「ちゃん」づけで書いたのです。

 住民全員がお互いを名前や愛称で呼び合う関係、そうした人間関係で成り立つ狭い社会を思い描いてみてください。
 様々な集会やイベントで集まってくるのはお互いに気心の知れた人間ばかり、性格から生活状況、過去の経歴までお互い熟知し合っています。それはあたかも親戚一同のようであり、学生時代のサークル仲間のようであり、仲の良い友人たちのようでもあります。

 どの集会に参加しても参加者が口をきくことなく気まずそうに黙りこくっているような光景はここにはありえません。

 私は、こうした「同じ地区の住民」をキーワードに、お互い協調しあい相互に扶助する小さなコミュニティに日本社会の理想像を発見しました。
 人間は社会をつくることによって生きていく生物で、そうであればこうしたコミュニティを作り、それに属することは基本的な欲求であって、その欲求が満たされた時に根源的な充足感、満足感を感じるものなのでしょう。


 さて、冒頭に戻りますが、玄関を開けてお父ちゃん、お母ちゃん、子供達がコタツに入ってテレビを見ながら食事をしている光景が目に飛び込んできた後、どうなるでしょうか。
 私は「失礼しましたっ!」っていうわけですが、尋ねた相手は「おう、あがれ」と言ったとたん、もうコップに焼酎が注がれていて、食事の料理が小分けされて目の前に出されるわけです。

 来客があれば玄関まで出迎え、廊下を歩いて客間や応接間に通します。来客が毎日のようにあるのであれば客間や応接間は玄関に近い方が便利で手間がかかりません。
 この理屈で客間、応接間、居間が限りなく玄関に近くなって、その結果、玄関を開ければコタツがある間取りになったのでしょう。
 人との交流が濃く、親類や仲の良い友人達、それに加えて地域の住民達が頻繁に出入りするのであれば「玄関を開けてコタツがある」はごく自然な発想なのです。


 田舎の魅力は?と聞かれて「空気がきれいで水がうまい」とか「美味しいものが沢山ある」というのは間違いないのですが、田舎にはそれよりさらに大きな魅力があります。

 それは本当に豊かな生活ができるということです。
 本当の豊かさとはモノであるはずがなく、人間の心にあるはずです。
 相互に支えあいながら一つの共同体を作り、一人ひとりがその構成要員となること、その社会への帰属意識を持ってその社会に生きる、それこそ豊かさの基本であるはずです。

 こうした社会に生きていると人間がだんだんとおおらかになってきます。

 現在の家を借りることになった時、地主のゆきおちゃんにしつこく聞きました。
 「全部で土地の広さはどれくらいですか?」家を取り囲む山々を指差し「どっからどこまでがゆきおさんの山ですか?」
 ゆきおちゃんの返事はあいまいで要領を得ません。「田んぼだったところが4町歩」「○○さんの山もあるし、××の山もあるし、国有林もある」


 当時ゆきおちゃんの答え方について理解できなかった私ですが、いつのまにか都会からの友人が来たときに同じような答え方をするようになりました。
 「どこまで借りてるの?」「ここらへん一帯」
 「周りの山も全部?」「ご近所さんの山や国有林もあるらしい」
 「区切りはないの」「人間が決めた境界線はあるんだろうけど、山の中に線がひかれているわけじゃなし、まあ、あんまし細かいこと気にしているより旨い酒でも飲んでた方が長生きすっぱい」

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