ありのままの田舎暮らし
第1話 お墓の巻
茨城との県境、阿武隈山地の南端で田舎暮らしをしている、北村たかし&和田央子です。2001年に、豊かな自然に恵まれた環境を求めて東京より移住しました。
趣味で作り始めた天然酵母パンを直売所で販売させて頂いたことから、パン作りが本業になりました。お店はありませんが、地元の道の駅で販売させて頂いています。また、プレハブ倉庫の中で簡単な商品管理、発送作業等をしています。
では、私達の田舎暮らしを紹介いたしましょう。 一回目は北村の番です。よろしくお願い致します。
私は次男です。私の幼い頃の記憶にはお墓参りの情景が色濃く残っています。実家が本家で父に兄弟が多いということもありましたので、親戚一同集まって行う法事は我が家にとっては一大イベントでした。
豪華な料理作りに奔走する母たち、お酒を飲みながら大きな声で談笑する男たち、こうした大人の社会に接することが私には非常に貴重に思えましたし、お墓参りのために電車やタクシーに乗るといった体験も子供心にはとても楽しいものでした。
しかし、このお墓参りのある出来事がその後の私の人生に大きな影響を及ぼすことになったのです。
それは私が4つか5つの時のことでした。墓前でご先祖様に手を合わせる私に母が言ったのです。
「いいかい、たかしよくお聞き。このお墓はお父さん、お母さん、お兄ちゃんは死んだら入れるけど、おまえは入れないの。次男だから。お兄ちゃんのお嫁さんも入れるの。だけどおまえは入れないから自分でお墓を用意しなければならないの。わかった?いいかい、分かったかい!!!」
父も母も兄も死んだらお墓に入れるのに自分には入るお墓がない!
これは幼心にはこの世の終わりとも取れるくらいの一大事、私は人生最大の危機を迎えたと恐れおののきました。
「僕には死んでも入るお墓がない、どっ、どっ、どうしよう」
しかし、私が深刻に受け止めていることなど思いも寄らない母は、私が幼いため理解していないだろうと、毎回毎回お墓参りのたびに必ずしつこく言い聞かせるのです。
「いいかいたかし、よくお聞き。このお墓にはおまえは入れないの!!!わかったかい!!!!!」
新聞の折込チラシで、スーパーの安売りチェックを人生の最優先事項にしている主夫主婦の方は多いと思います。皆さん、10円安い卵を買うため遠くのスーパーまで行って、2パック買って「やったあ、20円浮かした!」と喜びながら立ち寄った最寄のスーパーでさらに10円安い卵を発見し、生きることの難しさを実感するといった経験を幾度となくされていることと思います。
私の場合はもちろん折込チラシのチェックは、スーパーではなくお墓です。「国産御影石、おおっ、これは高いぜ!」などといいながら、墓地、墓石のチラシを探し出しては隅から隅まで確認します。
若い時のドライブの目的地はもちろん墓地。「見晴らし良いしここはいいけど、高くて手が出ないよなあ」とか一人で言っていました。日本人男性の第一の夢はマイホームを持つことなのだそうですが、私はもちろんお墓を買うことでした。
思えば暗い青春でした。私は女性にもてることはあまりありませんでしたが、今となってなんとなくその理由が分かるような気がします。
女性と縁がない、その当然の帰結として私は40過ぎても独身で、結婚の見込みもなしの状態でした。そんな40過ぎのある時ふと思いました。
「妻も子もいない、俺のお墓には誰が花を添えてくれるのだろう?」
私はよーく、よーく考えて、その結果としてお墓を持っても意味がないという結論に達しました。
この時私はようやく重たい肩の荷を降ろすことができたのです。お墓は要らない。死んだら焼いてもらって灰は誰にも迷惑にならないところに適当にぶちまけてくれればそれでいい。私は40にしてお墓の呪縛から解き放たれました。
前置きが長くなりました。
「とんとんとんからりんと隣組、回して頂戴回覧板♪」と歌われております「組」が田舎では今もありまして、組に入るとお互い親戚同様の付き合いをします。(といっても組内すべての家に何らかの血縁があるのですが)近隣の各家が一つの共同体を作り相互に扶助する合理的なシステムで、私達夫婦も現地で組に入れていただきましたので、冠婚葬祭、祭り、草刈などを組内の方々と一緒にやります。
こちらに来て初めてのお葬式があった時のことです。最終日、組の共同墓地に納骨した際、組内の方が言いました。
「あんた、死んだら適当にそこらへん掘って入りな」
「えっ?適当にって?」
「組の共同墓地だから。自由に使って良いから、タダだから」
「タダですか?どこでもいいんですか?」
「んだ、好きなところ掘って漬物石でもおいときな」
私はタダでお墓をゲットしました。私を苦しめてきたお墓の悩みはなんだったのだろう。墓をタダでくれるところ、それが田舎です。
<続く>
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