ありのままの田舎暮らし
第2話 「惚れてから考える」
■田舎暮らしの動機とは?
田舎暮らしを希望する動機は、きっとみなさんそれぞれでしょう。
「田舎暮らし」が先にある方は、きっと、自分たちの田舎暮らしの希望に叶う土地を探すのでしょうし、「仕事」が先にある方は、希望する仕事に就ける場所を探すのでしょう。
ひょっとすると、僕のように「この土地が気に入ったから」という理由で場所を決めてしまう人間は少数派なのかもしれません。
僕が福島県西白河郡西郷村を田舎暮らしの場としたのは、ほとんど偶然の出会いからです。
もう20年以上前のことですが、仲間とモトクロスをしていた僕は、羽鳥湖のあたりにちょくちょく遊びに来ていました。当時、東京でデザイン会社を経営していましたが、仙台からの仕事もあり、ちょうど東京と仙台の中間地である白河近辺に、事務所があればなぁ、と漠然と考えていたのです。
それと、息子が誕生したのも大きな理由かもしれません。
その頃僕は神奈川の磯子に住んでいて、周囲は工場地帯。こんなところで子供を育てるのは可哀想だなぁ、とも思っていたのです。僕は奈良の生まれで、子供時代は山谷を駆け回って育ちました。子供には田舎を与えてあげたい、という思いも強くなっていました。
■土地に惚れて
そんなある日、モトクロスの帰りに田舎道をドライブしていて、「いいところだなぁ」としみじみと風景を楽しんでいたら、突然、とある工務店が現れました。
後先考えずに行動してしまうのは僕の悪い癖なのですが、車を停めて工務店に飛び込み「いい土地ない?」と訊いてしまったのです。
何気なく、地価はいくらくらいか、積雪はどうか、などというような漠然とした地元の情報を知りたかっただけなのですが、工務店の社長と話し込むうちに、「土地を探しとくよ」ということになり、それからしばらくしていくつかの土地を観に行くことになりました。
そのうちのひとつが、ダムのそばにある現在の土地で、周囲は牧草地と裏山。これなら開発も進まないだろう、人も入ってこないだろうと。つまりは、不便な場所、言い換えれば、人里離れた土地を求めていた僕にピッタリの物件だったのです。
地価は、当時バブル期だったこともあって坪単価2〜3万円。240坪で500万円ほどでした。現在は坪1万円そこそこですので、投機として見れば大失敗です。
しかし土地の価値とは金銭的価値だけではありません。土地は住む場所になりますし、畑にもなる。結果的には、後には現在のゆば工房という仕事場にも変身することになるのです。
■家を建てる
言ってみれば、僕の場合は、バブル期に稼いだデザイン会社の社長がセカンドハウスを持とうと、何気なく田舎にやってきたお気楽なものでした。
当時僕が描いていたイメージは「木造の山小屋」で、週末に家族や友人たちとの遊び場、仙台の仕事が入ればデザインの仕事ができる、というようなものでした。
土地の相談に乗ってくれた工務店に「自分たちで建てたい」と相談すると、「無理無理」と笑われましたが、どうしてもプロでなければできない基礎工事と棟上げだけを工務店に依頼することにし、設計プランをもとに材料を運んでもらい、あとは週末に僕の友人たちと造ることにしました。ようするに、家を建てて遊ぶことにしたわけです。
工事といっても、シロウトが見よう見まねでやるわけですから、多少いいかげんでも構いません。豪奢な家など最初から建てるつもりもなく、山小屋ができればそれでいいというものです。
それでも、大工仕事は楽しいもので、墨壺を使ったりしながら木を切り、床、内壁、外壁、断熱材、窓作り、ドア作り、防水コーキングなども自分たちで行いました。
完成したのは2階建ての立派な山小屋です。物置として地下室を造りたかったので、わがままを言って1.8メートルもの高床式の基礎にし、その上に、木造の家が建ちました。外壁は、一般的には見栄えなどの観点から使うことのない合板を防水塗装して打ち付けました。安上がりで、いかにも手作りの山小屋風です。
■わかってもらえない
内部は大黒柱が粗削りのままむき出し。2階も天井はなく梁がむき出しです。
工務店から送り込まれた大工さんは仕上がりをきれいにしたくて「それじゃダメだ」と言うのですが、僕は木を身近に感じたかったので、なるべくワイルドなままにしておきたかったのです。でも、僕の考えは地元の大工さんにはなかなか通じませんでした。
木造のバルコニーも2間の広いものを作り付けました。ここは、コンクリートのU字溝で造った囲炉裏を置き、焚火・バーベキュー、物干しスペースです。
この、「山小屋」には、結果的に700万円ほどかかりました。土地とトータルで1200万円ほどでしょうか。バブル期であることを考えると、土地付きの1戸建ての値段としてはかなり安上がりだと言えるでしょう。
実は後にそれまで住んでいた磯子から、茨城の藤代に家を建てて引っ越すことになるのですが、藤代の分譲住宅は8000万円かかりました。しかし、バブルがはじけ、2年ほどで藤代の家は手放すことになります。
手元に残ったのは、売るに売れずに持ち続けることになった、この西郷の山小屋だけでした。
バブル景気で稼ぎ、セカンドハウスを建ててモトクロスで遊んでバーベキュー、などと能天気な僕が、真剣に移住を考えるようになったのはこの頃からでした。
ところが、家族は移住に大反対することになるのです。
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