ありのままの田舎暮らし
第4話 無手勝流のススメ
自分から動こう
田舎への移住を考えてる方は、おそらく、インターネットや雑誌などで情報を収集し、プランにマッチした移住場所を探しているのではないでしょうか。もちろん、情報は、ないよりはあったほうがいいですし、ネットなどではすぐに大量の情報が入手できるのでから便利なものです。しかし、やはり人間はアナログな存在ですので、実際に現地に足を運んで人に会って情報収集することのほうが大切だと思います。
僕は、世代としては団塊世代の少し下で、基本的にアナログ人間です。デザイナーという仕事柄パソコンは早くからツールとして使用してきましたし、もちろん現在はインターネットも使います。が、僕が西郷村を探していたときは80年代の末期で、インターネットはありませんでした。
僕は、どちらかというと頭よりも先に身体が動いてしまうタイプなので、思いつくとあちこち飛び込んで人と話をしてしまいます。しかし、そこにネットや雑誌では手に入らない「生の情報」があって、また、それならあの人に訊くといいよと、人づてに、新しい情報源や世話人のような方を紹介してもらうことも起こるのです。
人に会う、というのは、双方向のコミュニケーションです。相手もまた、僕という人物を体験するのであって、インターネットにインタラクティブ性があるといってもせいぜいメールでのコミュニケーションで、実体験にはかないません。また、その土地の匂いや風土、人々の言葉や、ネットに載らない周辺情報も、現地に行くことで初めて理解できることではないでしょうか。
情報収集は大切ですが、ほどほどにして、現地を見に出かけることをおススメします。まさか、一度も現地に行かずに家や土地を買うわけにはいかないですし、いきなり引越というわけにもいきません。行けば、からなず出会いがあります。NPOや自治体の窓口、あるいは世話人のようなキーパーソンに会うことから始めてもいいでしょう。
他人の重要性
さて、僕の場合はというと、食品事業はなかなか上手く軌道に乗らず、妻と子供は筑波住まいを選択したため、僕自身も筑波でのデザイン仕事と二足のわらじで、中途半端な状態でした。結局、自前の製造設備を西郷村に作ろうと決意したのが、本格的な移住の一歩となりました。
といっても、潤沢に資金があるわけではありませんので、イナバのガレージ(2台用)を敷地内に建てて工房とし、塗装やら断熱やら、内装工事のほとんどは自分たちで行いました。そのとき相談に乗ってくれたのが、母屋を建てたときの工務店で、水を使うならコンクリを打って排水口を埋めこんだほうがいいとか、工房作りのアドバイスをいろいろもらうことができました。
また、ゆばを作るための釜も特注での製作となるため、鉄工所を紹介してもらったりもしたのです。後に、ボイラーや大豆を煮るための開放釜や搾り機といった本格的な製造設備を次々と導入していくことになるのですが、そうしたひとつひとつの事柄に、人づての紹介が生きました。
たとえば「中古品があるけど見に来るかい?」などと連絡をくれたりするうちに、そんなお付き合いから相談相手となっていきます。排水が間に合わなくて浄化槽を増設する必要に迫られたり、水を使いすぎて地下水が枯れて新しい井戸を掘らなくてはならなくなったり、さまざまな変化やトラブルが訪れますが、その都度、相談相手となってくれるのが、土地の人々、人脈に他なりません。
これはとても大きな存在で、田舎の人々がつながりながら助け合って生きていることが実感できます。都会とのいちばんの違いと言ってもいいでしょう。また、これは後の話になりますが、僕が大豆の生産を地元の農家の方々に委託する「大豆の会」を作ったとき、こうした「こちら側から発信した情報」も、人々を通じて伝わっていくのです。
というわけで、西郷村にゆば工房を設立し、僕単身ですが、ほぼ西郷村で生活することになりました。現在では地元の若者、奥様などなどパートさんの力を借りながら、豆乳を搾り、ゆばや大豆製品を製造する毎日です。
振り返ってみると、こうした暮らしが成立しているのは、多くの出会いや知り合った人々に支えられていることがよく理解できます。また、新たな移住者は、その土地にとって、変化を生み出す元でもあるのです。ひょっとすると、最初は情報や人脈を享受する側に思えるかもしれませんが、ひとりの人間、ひとつの家族が生きることは、土地の人々になにかしらの影響を与えることでもある、といえるのではないでしょうか。
その意味で、移住者は情報に頼りすぎずに、つまり、自力のみで完結しようとせず、もっと地元の人を頼ってみてはどうでしょう。そのためにも、積極的に無手勝流で動いた方がよいのではと思います。
・・・つづく
コメントフォーム