ありのままの田舎暮らし
第5話 「北の国から」と思って失敗を笑おう
・人間関係を作るということ
新天地に飛び込んで新しい生活を始めると、良いことばかりが起こるとは限りません。新しい人が現れて、商売なり仕事なりを始めるということは、何かしら新しい出来事を生み出していくことなります。ましてや、こちらは新参者。長い付き合いや理解が周囲にあるわけではありません。こちらも周りへの理解が足りないのは同様です。
都会では、お金があればなんでも可能かもしれませんが、さまざまなものが比較的固定している田舎では、人間関係がなければ物事が進んでいかないことも多いです。
わかりやすくいえば、都会は人も企業もサービスもダイナミックですので、たとえばパートさんを探そうとすれば情報誌に求人を出せばすぐに見つかるでしょう。困ったことがあれば24時間電話ひとつで駆けつけてくれるサービスもあります。
しかし田舎では、住んでいる人々も会社も、何年間も動かずに同じであることが多いのです。また、新参者の噂は意外にも多くの人々に伝わります。
ビジネスでも起業でも、何かコトを起こそうとするときに力になってくれるのが、相談できる土地の人の存在です。僕の場合は工務店の社長さんだったり、ペンションのオーナーさんだったり、さまざまな人との関わりが大きな力になりました。
たとえば、ゆば工房を始めてみると、役場の農政課や地元商工会などさまざまな人との出会いがあり、たとえば祭りやイベントへの出店依頼なども直接寄せられるようになったりしました。
また、地元農家のみなさんと「大豆の会」を始めるときも、農業試験場が開発した品種を植えてくれないかと話を持ちかけられたり。
こうして広がった人間関係が、新たな紹介などへとつながっていくことがほとんどです。もちろん、良いことばかりではありません。これがトラブルを生んでしまうこともあります。
・失敗も人生です
僕は、たびたび大失敗やトラブルを経験しています。
あるとき、新白河駅のそばに空き店舗があるから店を出してみないかという話がきたことがありました。それを、地元の友人に持ちかけたところ、盛り上がって共同で出店することになったのです。
しかし、お互いに潤沢な資金があるわけでもなく、売上げは少しずつ伸びてはいたのですが、結局立ちゆかなくなり、閉店させることになってしまいました。僕の勇み足が裏目に出た形です。この友人との関係修復に、ものすごくエネルギーを使うことになりました。
もともとセカンドハウスとして建てた家ですので、浅井戸しか掘っていないのに大量に水を使う商売を始めたのですから、井戸が枯れてしまいました。それで井戸を掘り直すハメになり、48メートルも掘ったので大枚がかなり出て行ってしまいました。また排水が追いつかず、排水処理の設備も新たに作ることになったり。
<写真1>
1本目が枯れてしまったため、急遽掘ることになった2本目の井戸。40mも掘ったため莫大なお金が出ていった。水が出たときは、ゼータクにお風呂を出しっ放しのかけ流しにして祝った。
またあるときは、パートで雇った青年が突然出社しなくなったり。辞める、のではなく来ないのです。製造があるのに大慌てです。
さらに、従業員から犬を預かってくれないかと頼まれ、このレトリーバーの雌がいつのまにか妊娠してしまい、子犬を産んでしまったこともあります。
母犬が一匹の子犬を踏んづけてしまったため、獣医を捜して奔走したり、他の子犬の貰い手を探すのもたいへんでした。仕事があるのに余計なことで大忙しです。
<写真2>
機材屋が中古の搾り機を譲ってくれたが、圧搾盤が歪んでいたため油圧に耐えきれず、すぐにダメになってしまった。ものすごく高価なステンレスで出来ているので何年放置しても錆びていない。裏庭のオブジェと化している。
正直いって、「まったくもう!」と叫ぶのが口癖になったほどでした。
しかしあるとき友人に、「まるで、北の国からだなぁ」と笑われて、僕も笑ってしまったのです。そうです。あの、北海道の富良野を舞台にしたドラマ『北の国から』そのものに思えてきたのです。
田舎にも、小さなドラマがたくさんあって、人が生み出すトラブルは、物語そのものです。誰かのちょっとした欲や、あるいは善意からも、トラブルのドラマが織りなされていくのです。
それもこれも含めて、新天地への移住ということになるのでしょう。
失敗やトラブルは、何か新しいコトを始めれば必ず生じます。失敗も人生だと思って楽しむ心づもりが必要なのかもしれません。またそれを遠ざけてしまっては、それはそれで平和ではありますが、移住する本来の意味も薄れてしまうような気がするのです。
・・・つづく
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