ありのままの田舎暮らし
第1話 就農まで
今回より、 あぶくまローズ 代表、また「道の駅ひらた」の駅長さんでもある、高野哲也さんの連載が始まります!
はじめに ------------------------------------------------------------------------------
この記事は、おそらく農業(就農)に興味・関心があるか、あるいはすでに就農している方もしくは何らかの理由で都会から移住しようとしている(移住した)方が読者の大部分をしめるであろうから、それを前提として本音で語ります。
新規就農(参入)にしろ、二地域居住にしろ、千差万別ケースバイケースなので、あくまで例の一つとしてお読みください。
高野哲也
就農まで
結婚後1年ほど経った頃、妻が心の病気を発病した。
通院が始まったがいっこうに治る気配が無く、むしろ薬の量が増え、約1年半の間に3カ所の病院を変えた。
あるとき待合室で読んでいた雑誌に「園芸療法」の記事を見つけ、大げさにいえば天啓のようなものを感じた。病気を完全に治せなくても、社会復帰するための方法として植物とふれあう。厚い雲間に一筋の光が差し込む感覚であった。
しかしながら、当時自分の知る限りで、園芸療法を実践しているところはなく、ならば自分でやろうと考えた(岩手県ですでに取り組んでいるところがあると後でわかった)。
もともと農業には強い関心があり、大学を受験する際も、農学部か文学部か迷った自分である。
30歳を過ぎてから軌道修正しても遅くはないだろう。
問題は、どのようにして農家となり、園芸療法施設を作るかであったが、非農家の都会人が農家になる方法を全く知らず、職安などへも行ってみたが何の情報も得られなかった。
偶然あるコンビニで見かけた就職情報誌に"農業をやりたい人へ"という特集記事を見つけたのは幸運だった。
記事に「新規就農ガイドセンター(現・全国新規就農相談センター)」の電話番号が記載されており、早速連絡を入れ、相談したのが平成6年の9月。
全く身よりたよりのない所よりはと、妻の出身地である福島で新規就農受け入れ市町村を紹介してもらい、仕事の休みを利用して福島めぐりが始まった。
平田村を選んだ第一の理由は、相談を受けた役場の職員さらに村長(当時)が実に熱心に誘ってくれたこと、それも農業が厳しい状況にあり、まして平田村のような準高冷地ではさらに容易でないことを話した上で、それでも本気でやる気があるなら俺たちも本気で応援すると言ってくれたことであった(最初に訪れた日が村民大運動会当日で、話をしたのは本部テントの中、それも昼の弁当をごちそうになりながらという妙な状況)。
他の町村ではなかば事務的な対応で、なかでも悲しかったのは電話で問い合わせたときは「ぜひ来い」と言わんばかりだったのに、いざ訪れると「農業では食えないですよ」と言われたとき。
貴重な休みを利用してはるばる福島まで来た人にとってこんな失礼は無い。
かくして平成6年11月末、3度目に訪れたとき見つかった空き家に引っ越した。
翌日は雪であった。
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