ありのままの田舎暮らし
第6話 「ひらた高原朝採り野菜の会」設立まで
前回、メーカーである農家が、販売に関して創意工夫することの重要性にふれたが、その続き。
経営開始後まもなく、平田村の農産物直売グループ「ひらた青空市」に混ぜてもらい、6月から11月の隔週土曜日、村を横断する49号国道沿いの空き地でバラの直売をしていた。
15人ほどの農家が参加していたが、強い違和感と疑問を感じていた。
まずこの組織が役場主導ででき、広報、会計などの事務方を役場産業課の人間がやっていたこと。
次に月2~3回の開催で、半年でせいぜい14~15回しか開かないこと。
そして組織の経理計算が不透明なこと。
1年目は新参者としておとなしくしていたが、2年目の忘年会(これも役場が金を出していた)の席上話題にしてみた。
農家が農家の生産物を販売し、その金は農家に入るのに、なぜ農家自身が運営主体とならないのか。顧客獲得のためになぜもっと開催回数を増やさないのか。なぜ予算・決算をはじめとした会計報告がないのか。
返ってきた答えはいずれも納得しがたいものばかりだったが、議論のあげく翌年度からは役場から独立し、新組織を作ることになり、その事務局長をおまえがやれということになってしまった。
こうして平成11年「岳山(たけやま)の里土曜市運営委員会」が発足する。(岳山は平田村のシンボル"蓬田岳"の愛称)
参加メンバーの多くが高齢者だったから、その成り行きはある程度予想されていたが、いざとなると容易ならざるものがあった。
定住人口のすくない農村で農産物を売る(漁村で魚を売る)ことは簡単ではない。大きな観光地が近くにあれば観光客をターゲットにすることもできるが、それもない。まして、常設のハコモノ(直売所)を持っていない、文字通りの青空市。
とりあえず、唯一観光地といえそうな、村内の自然公園の5月イベントを皮切りに、毎週土曜日開催を原則として12月中旬まで運営する計画をたてた。また、HPを立ち上げ、普及し始めていたインターネット販売も試みた(現在は閉鎖中)。
平成11年、12年の売上げが、それぞれ450万円、560万円ほど(常時出店は8~10件)で、これでは小遣いくらいにしかならない。
いろいろと考えたあげく大手量販店への契約販売を試みた。コンセプトは「朝獲った野菜をその日の内に店頭に並べ、一日で売り切る」「土付き、虫付き、無農薬」。
どうせならと福島県内1の量販店YBを相手にしようと、またまたわずかな見本ととびきりの笑顔で営業に出る。結婚式場の経験からすぐには無理だろうと思ったが、驚くまいことか一発で「おもしろい!やってみよう。」とバイヤーの反応であった。
後でわかったことだが、たまたまYBの社内方針が、野菜の仕入れ先割合を"下りもの(東京からの仕入れ品)"から"地物"中心へと変更された直後だったらしい。
いわば"時の運"が良かったのだが、それからが大変だった。
YBから送られてきた年間買い入れ計画が、当時の我々の生産量の約4倍近くもあり、急遽生産者の補充が必要となる。また、既存の会員からこの計画に対する不安の声も上がったこともあり(今まで自分の作った野菜を大手量販店などに販売した経験がないと「オラの野菜がYBで売れっぺか」と気後れしてしまう)、ならば新組織を立ち上げた方が早かろうと、役場から野菜作り名人、JA出荷者、新しい物好き、お祭り好きを紹介してもらい、片っ端から説明会の案内はがきを出した。
また、村内を走っていて畑に良い作物があったりすると、訪ねていって勧誘したりで、平成13年1月から3月まで、3回のYBバイヤー同席の説明会を開き、参加人数は60人、35人、22人と漸減したが、まずはこの22人でやってみようと設立したのが「ひらた高原朝採り野菜の会」である。3分の1は「岳山の里土曜市運営委員会」出身だが、残りは新規会員であった。
出荷先はいわきの4店舗。平田村とは近距離にありながら、気候の違いから野菜の旬が約1ヶ月ずれるため、YBバイヤーと相談の上決定した。中古の2トントラックをローンで購入し、初出荷は6月18日。ニュースリリースの効果もあって、夕方には全品を売り切った。
この日から、1年の半分は八百屋として過ごすこととなる。
参考
http://www.chiiki-dukuri-hyakka.or.jp/profile/profile.html
http://www.chiiki-dukuri-hyakka.or.jp/cgi-bin/profile/data.cgi?number=892
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