ありのままの田舎暮らし

2010.03.07

第10話 道の駅 駅長拝命

あぶくまローズ
道の駅ひらた」 高野 哲也

 昨今、全国各地で道の駅が建設され、その多くが直売所をはじめとする地域振興施設を併設し、成果をあげている。
 平田村にも平成21年オープンを目指して建設検討委員会が作られることになり、役場から委員就任依頼が来た。7000人程度の人口しかない村なので、どうしても一部の人に委員だの役員だのが偏りやすく、まして何か目立つ活動をしているとその傾向はいっそう顕著になる。

 かくして、平成19年から、道の駅建設・運営のための検討会、勉強会を始め、また机上の議論だけではということで、テント形式の仮設直売所の運営に携わることになった。
 だが、道の駅の駅長までやることになるとは予期していなかった。


 
 
michinoeki.jpg 道の駅ひらたは、平成21年7月5日、国道49号線、郡山~いわき間のほぼ中間点に、県内18番目の道の駅としてオープンした。
 49号線は、太平洋と日本海をつなぐ大動脈である。あぶくま高原道路との交差点付近ということもあり、深夜、早朝でも駐車場が空になることがない。「地の利」はある所だろう。

 15年前、私が移住してきた当時は、「ここはなんもねえところだ」ときには「なしてこだなところさ百姓しに来ただ」とまでいわれた。生まれ、育ち、長く住み続けることによって、故郷の価値に慣れすぎ、見えているものが見えてこないのは寂しい。
 確かに、矢祭から棚倉、平田、船引、安達、川俣と阿武隈山系を走ると、どこも似たような、いわば「ありふれた山里」が連なっている。 しかし、「ありふれ」てはいるが、「かけがえのない」故郷であるはずだ。かけがえのない故郷に誇りも自信も持ちえないならば、地域の元気は失われ、衰退するだろう。

 だからといって、地域振興の方策として企業誘致や外部資本の導入、あるいは公共事業を頼りにする従来の地域活性化手法が地域力に結びつくとは限らない。むしろ一部利権と結びつき、場合によっては地域をスポイルする危険性さえある。



 かつて鶴見和子氏らが提唱した「内発的発展論」は、今もなお新鮮さと画期性を失わず、むしろ東国原宮崎県知事、橋下大阪府知事ら地方分権推進派の発言もあって、ますます輝きを増しているように思える。全国各地に建設されている道の駅も、道路利用者の利便性向上だけが目的ではあるまい。地域振興、地域情報発信等の核として、内発的発展の起爆剤として役割を期待され、また果たしてきている。

 私が移住してきた当時の平田村は8000人強の人口があった。今は7000人を切っている。実に10%以上の減少率で、このままでいくと大野晃氏いうところの「限界集落」を生じ、「タコツボ」的生活の独居老人世帯が増える危険性さえある。

 道の駅の直売所で扱う商品は多岐にわたるが、中でも獲れたての野菜や手工芸品、漬け物などは無くてはならないものであり、このような商品は人生のベテランたちのもっとも得意とするところであろう。また、これらは「どこにでもあるもの」だが、彼らの手にかかれば「ここにしかないもの」に変わりうる。
 一人の生産量は多くなくても、個性的な商品が他品種並ぶことは、消費者に多くの選択肢を与え、何より地域(食)文化の発信につながる。彼らの生きがい作りになることはいうまでもない。



 高齢者が多いなら高齢者による内発的発展を目指せばよい。一人の生産性は低くとも、小さな経済の集合体が、相乗効果と相まって大きな効果を生むことは、徳島県上勝町や高知県馬路村などが証明している。

 舞台は整った。役者(消費者、生産者など)が良い芝居ができるようにするのが道の駅スタッフの仕事であり、その目的のために回り道をするのも悪くない。どうせ、回り道をしてきた人生である。

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