第13話 田舎で実践、ケミカルフリーの生活の巻
09.01.02里山の味 天然工房
新年あけましておめでとうございます。
今年も「ありのままの田舎暮らし」を綴ってまいりますので、どうぞ宜しくお願いいたします。
---------------
現在、恐慌ともいえる世界的な景気の落ち込みが日本にも深刻な影響を及ぼし、連日企業の経営悪化とそれに伴う期間従業員・派遣社員切りが報道されています。
私はそうした報道を聞いて、単に経済だけの問題ではなく、政治や司法の問題、あるいは科学といった分野まで含めた人間の行いそのものが根本的に問われているのではないかと受け取っています。
何のための経済か、何のための政治か、何のための司法か、何のための科学か、その本来ベースにあるべき思想、理念が抜け落ちているため、経済が発展しても政治家が声を張り上げても科学技術が進展しても、主体であるはずの人間が幸福にならず、不幸な人ばかりが増えていくのではないかと。
サラリーマン時代、周囲で働く人々やそして私自身を振り返ってみて、何のために働くのか、どのような目的と指標を持ってこの社会を作っているのか、その疑問がいつも心の中にくすぶっていました。
本来労働とは、世のため人のためになることをしてその結果としてお金を得るのが本当の姿であるはずです。それがいつの間にか構図が逆転し、お金を得るために働くことになってしまい、さらにカネを得るためには何でもするといったように悪化しているように思えます。
日本の社会を見渡すと、仕事内容は目的のためには手段を選ばない事例ばかり、若いときは我慢ができても年を重ねるにつれてそうした中に身を置くことに耐えられなくなっていったのです。
短い人生なのだから自分自身を裏切らない生活をしてみたい、そのため人と物が集中する都会を離れて、お金や物にこだわらない生活、環境に負荷を与えない生活、そして化学物質に依存しない生活を実践してみたい、そう思うようになったのです。
ということで、今回は化学物質をなるべく排除する私達の生活スタイルをご紹介します。
―日本人、おかしくなってますー
おそらく多くの人々が気付いているでしょう。気付きながらあえて眼をそらしている人、一人の力ではどうにもならないと諦めている人、また何とかしなければならないと立ち上がって必死の努力をしている人もいます。
私も家族や仲の良い友人には常日頃から注意を喚起してきましたし、また何か機会があるたびその場を利用して多くの人達に訴えてきたつもりです。
アトピー、アレルギーはいまや当たり前の疾病になってしまいました。落花生やそばは重篤な症状を発生させる極めて危険な食物ですし、卵、小麦、乳製品も必ず記載が必要なアレルギー食品に指定されています。
しかし、私が幼い頃は落花生もそばも卵もパンも牛乳もアイスクリームもみんな当たり前のように口にしていました。アレルギーは特殊な免疫疾患であって誰もが抱える病気ではなく、従って私はアトピーという言葉も、まして化学物質過敏症などという新しい疾病も知らずに育ちました。
同様に、ほんの数十年前まではアスペルガーを始めとした発達障害は多い事例ではありませんでしたし、情緒が安定せず多動が見られる子供もいませんでした。当然、学級崩壊もありません。
マスコミでもよく登場するようになった、学校に理不尽な要求を突きつけるモンスターペアレント、企業や役場に苦情を言い続けるクレーマーなど、周囲の状況を客観的に把握することが出来ず自己主張しかしない人達も、現在のように多くはありませんでした。
若い世代にもガンが発生することが当たり前になってしまいましたが、ちょっと前までガンは主にお年寄りの疾病だったはずです。若年性認知症も女性の不妊もうつ病も今ほど多くはありませんでした。
日本人の体が徐々に変調をきたしてきている。少しずつ壊れてきている、それは明らかでしょう。
それではなぜ日本人がおかしくなってきているのでしょう。その理由はなんでしょうか。
といってただの凡人に過ぎない私に「はい、これが理由です」と簡単に答えが出せるはずがないのですが、ただ間違いなく言えることはほんの数十年前まではこれほど日本人がおかしくなってはいなかったということです。そうであれば、変調をきたす前の時代、その時代までの生活に学び、その生活に可能な限りなく近づけていくこと、それが、日本人が壊れていくことを食い止める1つの手段になるはずです。
―食べ物でないものは食べ物ではありませんー
現在の日本人の衣食住をちょっと振り返ってみませんか。
食卓に上がる加工食品や冷凍食品の裏ラベルを見てください。合成香料と合成着色料と合成保存料と化学調味料、化学薬品のオンパレードではありませんか。
肉となる家畜はホルモン剤と抗生物質を多量に加えたエサで肥育し、穀物は自然界には有り得ない遺伝子組み換え作物にどんどん置き換わってきています。
日本人、いったいどれだけの化学薬品を食べているのでしょう。
同様に住生活も化学物質まみれです。
シャンプー、リンス、ボディソープ、食器洗い、歯磨きから風呂洗い、洗濯まで合成香料と合成着色料と合成界面活性剤をこね回した合成洗剤を使っています。化粧品、香水も化学合成したものです。
さらに家は防虫剤、防腐剤、防カビ剤といった化学薬品を染み込ませた木材で組み立て、接着剤で張り合わせた合板を壁に床板に貼り、加えて塩ビの壁紙で仕上げます。
ゴキブリやハエが出たといっては殺虫剤を撒き散らし、蚊が出るといっては蚊取り線香という農薬を家中に充満させるのです。
現代の日本人はかつて人類が経験したことないほどの膨大な新規化学物質に晒され、そしてそれを体内に取り込んでいるのです。これでは体が悲鳴をあげるのも当然ではありませんか。
私達夫婦は頭も体も石鹸で洗います。当然、その石鹸は合成香料、合成着色料など不必要な化学物質が添加されていないものです。リンスはお酢。食器洗い、洗濯、風呂掃除から雑巾掛けまで合成洗剤の使用は一切なく、全て食廃油を原料にした石鹸で済ませています。
妻は時々化粧しますが、その際使うファンデーションは無機顔料で発色させた水性のもの、口紅は紅花色素を油脂に溶かしたもので、化学合成した成分を可能な限り排除したものです。
食べ物は合成着色料(すなわちインク)や合成香料というベンゼン環化合物、および化学調味料を含まないものを選んでいます。野菜は地元で無農薬のものを頂くようにしていますし、肉類は苦手で食べませんのでエサに加えられる薬剤を間接摂取することもありません。魚類は時々食べていますが、養殖したものは買いません。油は有機溶剤で抽出したものではなく、搾ったもの、それも国産の米を原料にしたものです。水も塩素を含まない山の湧き水を飲んでいます。
ちなみに妻はこちらに来てからパン屋を始めましたが、このパンの原料も同様です。小麦はポストハーベストを含まない国産小麦。地元の無農薬のカボチャや低農薬のリンゴを使い、その他レーズンやクルミなどの食材は全て有機の認証を取っている製品を使っています。
現在の家の補修にあたって合板はいっさい使っていません。殺虫剤を含ませていない杉、ヒノキを床、壁に使いました。ただし、ヒノキは節穴を埋めたB級品ですけど。
ハエが出て使うのはハエたたき、蚊取り線香は農薬成分を含ませていない本当の除虫菊で作ったものを使っています。
こうした生活を続けていれば、たとえ家や衣服はボロボロでも心と体はボロボロにならないと信じていますし、現在アレルギー、アトピー、化学物質過敏症等で悩む人達も私達の生活を参考にしていただければ症状はきっと改善するものと思っています。
(第9話「生命の水」の巻 もご覧ください )
私達の健康が侵食されている事実と化学物質の氾濫との因果関係は、科学的には証明されないのでしょう。際限なく合成される新規の化学物質は製造者責任でその安全性が保証されることになっています。
しかし、マウスやモルモットを始めとした実験動物に化学薬品を投与しても、マウスやモルモットが「それを投与されると吐き気がします、それを投与されるとイライラしてキレそうになります」とでも言うのでしょうか。「多量投与後に解剖してみたが、ガンも腫瘍もできていなかった」それで「動物実験によって安全性が証明されている」といるのでしょうか。私には信じられません。
人間に生活の利便性だけでなく健康のために科学技術を利用するといった知恵があれば、これほど不必要な化学物質を蔓延させることはないはずです。
本来、私達人間はおかしいことをおかしいと感じる感覚を持っています。ただ、都会の騒然とした生活が不自然なことを不自然と感じる感覚を麻痺させているのではないでしょうか。
それが都会の生活の大きな負の側面だと私は思っています。
新年あけましておめでとうございます。
今年も「ありのままの田舎暮らし」を綴ってまいりますので、どうぞ宜しくお願いいたします。
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現在、恐慌ともいえる世界的な景気の落ち込みが日本にも深刻な影響を及ぼし、連日企業の経営悪化とそれに伴う期間従業員・派遣社員切りが報道されています。
私はそうした報道を聞いて、単に経済だけの問題ではなく、政治や司法の問題、あるいは科学といった分野まで含めた人間の行いそのものが根本的に問われているのではないかと受け取っています。
何のための経済か、何のための政治か、何のための司法か、何のための科学か、その本来ベースにあるべき思想、理念が抜け落ちているため、経済が発展しても政治家が声を張り上げても科学技術が進展しても、主体であるはずの人間が幸福にならず、不幸な人ばかりが増えていくのではないかと。
サラリーマン時代、周囲で働く人々やそして私自身を振り返ってみて、何のために働くのか、どのような目的と指標を持ってこの社会を作っているのか、その疑問がいつも心の中にくすぶっていました。
本来労働とは、世のため人のためになることをしてその結果としてお金を得るのが本当の姿であるはずです。それがいつの間にか構図が逆転し、お金を得るために働くことになってしまい、さらにカネを得るためには何でもするといったように悪化しているように思えます。
日本の社会を見渡すと、仕事内容は目的のためには手段を選ばない事例ばかり、若いときは我慢ができても年を重ねるにつれてそうした中に身を置くことに耐えられなくなっていったのです。
短い人生なのだから自分自身を裏切らない生活をしてみたい、そのため人と物が集中する都会を離れて、お金や物にこだわらない生活、環境に負荷を与えない生活、そして化学物質に依存しない生活を実践してみたい、そう思うようになったのです。
ということで、今回は化学物質をなるべく排除する私達の生活スタイルをご紹介します。
―日本人、おかしくなってますー
おそらく多くの人々が気付いているでしょう。気付きながらあえて眼をそらしている人、一人の力ではどうにもならないと諦めている人、また何とかしなければならないと立ち上がって必死の努力をしている人もいます。
私も家族や仲の良い友人には常日頃から注意を喚起してきましたし、また何か機会があるたびその場を利用して多くの人達に訴えてきたつもりです。
アトピー、アレルギーはいまや当たり前の疾病になってしまいました。落花生やそばは重篤な症状を発生させる極めて危険な食物ですし、卵、小麦、乳製品も必ず記載が必要なアレルギー食品に指定されています。
しかし、私が幼い頃は落花生もそばも卵もパンも牛乳もアイスクリームもみんな当たり前のように口にしていました。アレルギーは特殊な免疫疾患であって誰もが抱える病気ではなく、従って私はアトピーという言葉も、まして化学物質過敏症などという新しい疾病も知らずに育ちました。
同様に、ほんの数十年前まではアスペルガーを始めとした発達障害は多い事例ではありませんでしたし、情緒が安定せず多動が見られる子供もいませんでした。当然、学級崩壊もありません。
マスコミでもよく登場するようになった、学校に理不尽な要求を突きつけるモンスターペアレント、企業や役場に苦情を言い続けるクレーマーなど、周囲の状況を客観的に把握することが出来ず自己主張しかしない人達も、現在のように多くはありませんでした。
若い世代にもガンが発生することが当たり前になってしまいましたが、ちょっと前までガンは主にお年寄りの疾病だったはずです。若年性認知症も女性の不妊もうつ病も今ほど多くはありませんでした。
日本人の体が徐々に変調をきたしてきている。少しずつ壊れてきている、それは明らかでしょう。
それではなぜ日本人がおかしくなってきているのでしょう。その理由はなんでしょうか。
といってただの凡人に過ぎない私に「はい、これが理由です」と簡単に答えが出せるはずがないのですが、ただ間違いなく言えることはほんの数十年前まではこれほど日本人がおかしくなってはいなかったということです。そうであれば、変調をきたす前の時代、その時代までの生活に学び、その生活に可能な限りなく近づけていくこと、それが、日本人が壊れていくことを食い止める1つの手段になるはずです。
―食べ物でないものは食べ物ではありませんー
現在の日本人の衣食住をちょっと振り返ってみませんか。
食卓に上がる加工食品や冷凍食品の裏ラベルを見てください。合成香料と合成着色料と合成保存料と化学調味料、化学薬品のオンパレードではありませんか。
肉となる家畜はホルモン剤と抗生物質を多量に加えたエサで肥育し、穀物は自然界には有り得ない遺伝子組み換え作物にどんどん置き換わってきています。
日本人、いったいどれだけの化学薬品を食べているのでしょう。
同様に住生活も化学物質まみれです。
シャンプー、リンス、ボディソープ、食器洗い、歯磨きから風呂洗い、洗濯まで合成香料と合成着色料と合成界面活性剤をこね回した合成洗剤を使っています。化粧品、香水も化学合成したものです。
さらに家は防虫剤、防腐剤、防カビ剤といった化学薬品を染み込ませた木材で組み立て、接着剤で張り合わせた合板を壁に床板に貼り、加えて塩ビの壁紙で仕上げます。
ゴキブリやハエが出たといっては殺虫剤を撒き散らし、蚊が出るといっては蚊取り線香という農薬を家中に充満させるのです。
現代の日本人はかつて人類が経験したことないほどの膨大な新規化学物質に晒され、そしてそれを体内に取り込んでいるのです。これでは体が悲鳴をあげるのも当然ではありませんか。
私達夫婦は頭も体も石鹸で洗います。当然、その石鹸は合成香料、合成着色料など不必要な化学物質が添加されていないものです。リンスはお酢。食器洗い、洗濯、風呂掃除から雑巾掛けまで合成洗剤の使用は一切なく、全て食廃油を原料にした石鹸で済ませています。
妻は時々化粧しますが、その際使うファンデーションは無機顔料で発色させた水性のもの、口紅は紅花色素を油脂に溶かしたもので、化学合成した成分を可能な限り排除したものです。
食べ物は合成着色料(すなわちインク)や合成香料というベンゼン環化合物、および化学調味料を含まないものを選んでいます。野菜は地元で無農薬のものを頂くようにしていますし、肉類は苦手で食べませんのでエサに加えられる薬剤を間接摂取することもありません。魚類は時々食べていますが、養殖したものは買いません。油は有機溶剤で抽出したものではなく、搾ったもの、それも国産の米を原料にしたものです。水も塩素を含まない山の湧き水を飲んでいます。
ちなみに妻はこちらに来てからパン屋を始めましたが、このパンの原料も同様です。小麦はポストハーベストを含まない国産小麦。地元の無農薬のカボチャや低農薬のリンゴを使い、その他レーズンやクルミなどの食材は全て有機の認証を取っている製品を使っています。
現在の家の補修にあたって合板はいっさい使っていません。殺虫剤を含ませていない杉、ヒノキを床、壁に使いました。ただし、ヒノキは節穴を埋めたB級品ですけど。
ハエが出て使うのはハエたたき、蚊取り線香は農薬成分を含ませていない本当の除虫菊で作ったものを使っています。
こうした生活を続けていれば、たとえ家や衣服はボロボロでも心と体はボロボロにならないと信じていますし、現在アレルギー、アトピー、化学物質過敏症等で悩む人達も私達の生活を参考にしていただければ症状はきっと改善するものと思っています。
(第9話「生命の水」の巻 もご覧ください )
私達の健康が侵食されている事実と化学物質の氾濫との因果関係は、科学的には証明されないのでしょう。際限なく合成される新規の化学物質は製造者責任でその安全性が保証されることになっています。
しかし、マウスやモルモットを始めとした実験動物に化学薬品を投与しても、マウスやモルモットが「それを投与されると吐き気がします、それを投与されるとイライラしてキレそうになります」とでも言うのでしょうか。「多量投与後に解剖してみたが、ガンも腫瘍もできていなかった」それで「動物実験によって安全性が証明されている」といるのでしょうか。私には信じられません。
人間に生活の利便性だけでなく健康のために科学技術を利用するといった知恵があれば、これほど不必要な化学物質を蔓延させることはないはずです。
本来、私達人間はおかしいことをおかしいと感じる感覚を持っています。ただ、都会の騒然とした生活が不自然なことを不自然と感じる感覚を麻痺させているのではないでしょうか。
それが都会の生活の大きな負の側面だと私は思っています。
第12話 Yes we can.We can changeの巻
08.12.17里山の味 天然工房
―求められる真の農業政策―
郡山と須賀川の境に、お勧めの自然食レストランがあります。その名は「銀河のほとり」。
うまい、安い、しかも安心と三拍子揃って文句の付け様がありません。私達の評価は星5つ、ミシュランの格付けなんのその、銀河のほとりを差し置いて星の数を自慢するなど差し出がましいとはこのことです。
このお店、定期的にちょっとしたお祭りともいえるイベントを開催するのですが、エコロジカルな企画趣旨に賛同、共感する多種多様な人々が集まってけっこうな盛り上がりになります。
歌あり、踊りあり、そして何より美味しくしかも健康的な食物が沢山用意されますので、誰でも大満足の1日になること受けあいです。
私達夫婦にとっても生活に潤いと刺激を与えてくれる大切なイベントとなっていて毎回多少の無理をしても出かけるようにしています。
今年の夏のことです。残念ながら私に用事が入ってしまって妻だけが参加したことがありました。
イベントが終わって戻った妻から1日の楽しい出来事の様子を聞いていたのですが、一点だけ私たち夫婦が考え込んでしまった話題がありました。
それは天然酵母パンを売っていた若い女性のこと。20代のその女性、たった一人で東京から福島の山の中に移り住み有機農業を始めたとのことです。しかし、当然のこととして生活は苦しく、そのため多少でも現金収入になればとパンを焼いて売っていたそうです。
20代の若い女性が有機農業をやると決めて東京から移り住む、それもたった一人で。
その勇気と行動力は私達夫婦の比ではありません。決断までの悩みと逡巡はいかほどであったでしょうか、想像にかたくありません。
この女性に限らず、環境意識の高まりと共に若い世代にも田舎回帰の流れが生まれてきています。
それに呼応する形で、地方でも就農を目指す若者たちを受け入れる公的機関や、あるいは地域住民が協力して農業技術を教えて独り立ちできるまで支える民間施設ができてきています。
ただ、私達夫婦が考えこんでしまったというのは、現在の日本に果たして農業で自立できる環境があるのか、という点です。
有機農業を学びノウハウを身に付け、土地を手にいれて農産物を作る。それを売って収入を得て、家庭を築く。そうした志を持つ有意な若者を今の日本は許容しているのだろうか、そう考えた時その答えは残念ながら懐疑的と言わざるを得ないのです。
ということで、今回は農業問題、日本の農政について考えるところを述べたいと思います。
―農業では生活が成り立たない―
過疎化、高齢化に伴い農業・林業の担い手は減少の一途をたどり、田んぼや畑は耕作放棄地となって、ススキ・雑草が伸び放題、山も荒れて密植された針葉樹が間伐も枝打ちもされずに見捨てられている、そうした状況は移住する前にテレビや新聞の報道を通じて知っているつもりでした。
しかし、こちらに来て事前の知識どおりの実態を見て、また地域住民の声をきいて、その深刻さを改めて目の当たりにすると「今の日本をなんとかしなければならないのではないか」と真剣に思うようになって、衰退していく農業、過疎化に歯止めのかからない農村に対して効果的な手立てを講じない政府、行政が歯がゆくて仕方なくなるのです。
こちらに来てつくづく感じるのは、山村・農村は今社会問題となっている格差社会、まさにその犠牲者であるという点です。
都会の友人に田舎生活について聞かれた時も私はその視点を抜きには話が出来ません。
格差社会の犠牲者といえば、昨今の派遣社員の首切り、内定取り消しや、非正規社員を中心としたワーキングプア、ネットカフェ難民の増加、また平均年収が200万にも満たない母子世帯や老々介護世帯、および生活保護世帯の急増など話題に事欠くことありませんが、地方格差については取り上げられることも少なく、またその本質が語られることもほとんど無いように感じます。
地方格差の解消といえば、道路作りの免罪符としてしか取り上げられないではありませんか。
しかし、道路族議員が念仏の様に「道路作れ、道路作れ、道路作れ」と唱えて、その時にだけ「地方格差の解消」を金科玉条のお題目に掲げても、実際に格差が解消することなどあり得ません。
地方格差の実態を明らかにしてその上で、改善のための抜本的な施策を行うといった本当の政策ではないからです。
都市部と地方の格差として決定的なのが「経済格差」です。私達の集落、また近隣で専業農家を見ることはありません。
理由は単純明快、農業だけでは食べていけないからです。
畑には野菜が植えられ、秋には稲の穂が金色の輝く田んぼが目に入るのですが、実はそれは片手間の作業によるもの。そうした一見農家の人達も山の仕事であったり町中の企業に就職していたりして、本業を別に持っているのです。
友秋さんは米作りを縮小し家の前の数反歩だけ、山の仕事の合間をぬってお米を作っていますが、そうした友秋さんの農作業に周囲は冷ややかな視線を向けています。
「米作るなんて馬鹿じゃねえか、借金こさえるだけだ」
この秋、刈り取りをやっている友秋さんに話を聞いてみました。
「コンバイン借りるだけで1反歩(300坪)3万円かかるんだよ、そのお金払ったら後には何も残んね。肥料や薬の代金引いたら赤字だよ。コンバインさえ持ってれば少しは金になるんだろうけど」
1反歩で収穫されるお米は5俵ほど、良くて6俵です(1俵は60キロ)。農協の米の買い取り価格はその年により異なりますが、価格の安い寒冷地米しかとれない当地では大体1俵1万円から1万2000円ほど。
すなわち、1反歩あたり6万前後にしかならないうち、3万円、ちょうど半分が刈り取り費用で持っていかれてしまうのです。
それではコンバインを持っていれば利益が出て、米作りで生計が維持できるのでしょうか。
友秋さんより少し手広く米作りをやっている、長治さんの刈り取りを手伝いに行ったときのことです。
「この前は中古のコンバイン買ったんだけど、故障続きでだめだった。それで新品を買ったんだけどやはり数年もすると故障が多くなる。これはこの前修理してもらったばっかりだから大丈夫」
そう言って刈り取りを始めたものの、動いては止まり、動いては止まりの連続。
動いているときは確かに効率よく刈り取って、お米をコンバイン内に溜め込み稲ワラを紐で結びながらポン、ポンと調子よく吐き出すものの、いかんせんあっという間に止まってしまいます。
私達夫婦や手伝いに来た人達は、長治さんがコンバインを直すのを見ながらあぜに座って世間話、結局この日は修理しきれずに刈り取り中断となりました。
このコンバイン、軽ワゴンより一回り大きいくらいですが購入価格は約250万とのこと。長治さん、「ローンを払い終わるころにはまた次の買わなくてはならなくて、いつもローンを払ってる」と笑っていました。
コンバインは使い方にもよりますが10年持てば良いほうだそうです。維持費、修理代、燃料代を考えると「反(300坪)」単位ではなくて、「町(3000坪)」で米作りをしないとメリットは出ないことになります。
地元の方々の平均的な耕作面積を考えれば、コンバインを持っていれば利益が出るというものではないことは明白です。
友秋さんにコンバインのリース料を聞いたとき、「なんて高いんだろう」と思いましたが、長治さんの刈り取りを手伝ってみれば1反部3万円の刈り取り料は妥当だと認識が変わってしまうのです。
かくして、お米を作っても収入にはならず、かといって他の農産物でお金が稼げるわけもなく、農業で生計を立てることは不可能ということになります。
しかし、安定した収入を得られるような企業は山村には存在せず、結果的に中山間地に暮らす人々は経済的に追い詰められることになるわけです。
この、都市との経済格差は必然的に教育の格差を生み出します。
「役場に勤めることの出来た者だけが子供を大学にやれる、そうじゃなければ子供を大学にやることはできねえ」この言葉を幾度聞いたことでしょう。
アラ50の同世代の人から「自分たちの時の高校進学率は約50%、中学3年で進学組と就職組に分けられるがそれはちょうど半々だった」そう聞いてショックを受けたことがありました。
私の場合、中学3年の時、クラス43人中、中学卒業で就職したのはわずか1名、しかもその生徒は2年の時に地方から転校してきた女の子。成績は上の下くらいだったと思います。いつも真ん中より上でした。学業不振が高校進学を断念させた理由ではありません。
教育格差は、情報化社会の進展がより一層の拍車をかけます。
前にも書きましたが私の電話回線は未だにアナログ、実質的にネットが使えませんし、携帯も電波が届かず使えません。この地域、ネットに接続している人もいるのですが、その数多いとは聞いていません。
都市ではネットが当たり前、どのような情報も瞬時に得ることが出来るどころか、生活のあらゆる場面でネットが有効利用されるようになってきています。しかし、地方は取り残されたままで、情報の格差が拡大し続けているのです。
経済格差、教育格差、情報格差、そしてマスコミで連日流される都会での華美に彩られた表層的な生活は心理格差を生み出します。
地域の人達が、本当は豊かであるはずの生活に自信が持てないのも当然、若者達が都市にあこがれ流出するのも当然、それを止められない親もこれまた当然なのです。
地域の方たちは田舎から都市への流れに逆流した私達を変わり者として見ます。そして「私はこういうところで暮らしたかった。こんな良い所はありません」という言葉を「本当にそうなのだろうか」といった面持ちで聞くのです。
私は心の底からこの地区、那倉の生活を豊かだと思っています。
私の思う豊かさについてはまた改めてご報告しますが、もちろん世間一般でいう経済的豊かさではあるはずはありません。従ってお金や物ではなく、心の充実を求めて若者がやってくるのは十分理解できるのですが、果たして生活の基盤を憧れの有機農業だけで築くことができるのかというと、私は「難しい」と否定的にならざるを得ないのです。
現状を変えないまま、若者の志だけを評価して美徳のごとく言う風潮はやはり無責任と言わざるを得ず、抵抗を感じてしまうのです。
―鮫川村はえらい―
それでは地方と都市の格差解消の有効な手立てはあるのでしょうか。
負の連鎖の原点が経済格差であることは明白ですので、そうであればまず経済格差からなんとかしなければなりません。
農業で食べていける、生計が維持できる、子供に十分な教育を受けさせることができる、その保障があれば農業を止めざるを得なかった人達も戻ってきますし、就農希望の若者も受け入れることができます。親も子供達の都市への流出を止めることができるでしょう。
実は、私はその解決策、施策は決して難しいこととは思えないのです。
農作物を政府が適切な価格で買い取ればいいだけではありませんか。その制度を作ることはそれほど難しいことなのでしょうか。
その実例を鮫川村が行っています。鮫川村では大豆で村おこしを政策に掲げ、村内で生産された大豆を買い取っているのです。作業に見合う価格で村が買い取りを保障するならみんな大豆を作るようになります。
結果として農業から身を引いていた高齢者が耕作放棄地を再び畑に変えるようになりましたし、買い取った大豆を豆腐、納豆、おからコロッケなどの加工食品として村の農産物販売所で販売していますので、これを目当てに近隣の市町村からも人々が集まってきます。
この大豆、遺伝子組み換えではありませんし、おまけに低農薬にすることを決めていますので、作る方も買う方も安心。さらにフードマイレージも低いとあって文句のつけようがありません。
これこそ真の地域活性化であり、住民のための政治ではありませんか。
米が余っているからと減反を強いる政府、米が余っていて倉庫代がバカにならない、そういうのであれば小麦、大豆、とうもろこし、その他農産物の買取制度を設ければいいでしょう。
米以外の作物が高値で売れるのなら農家は転作して米の生産は減少するに決まっています。
こういうと必ず言われるのが、
「買い取る金がない、財源をどう確保するんだ」
でもそうでしょうか。
世界の最貧国の北朝鮮脅威論ほどバカバカしいものはないと私は思っています。
木造小型漁船に時代遅れのソ連製のライフル乗っけて日本海を警戒させているような国、食糧援助、エネルギー援助を得るための口実に核開発を持ち出しているだけの国に対して、アメリカ、ロシア、中国などの大国の核武装と同列に論じて脅威だ脅威だと騒ぎ立てるのは無理がある以上に滑稽ですらあります。
軍備に湯水のように税金を垂れ流すのを少しでも見直し、アメリカがぼったくり価格で売りつける戦闘機1台でも購入をやめて、その費用を農業支援にあてれば国産穀物買取制度の創設は難しいことではないと思うのです。
農産物の買取を政府が実施すれば、食糧自給率が上昇するのは必然、それはアメリカの属国から、真の自立した国への転換の第一ステップでもあるはずです。
現在の為政者に「本当の国益を考えて、国民のための政治をやってくれ! チェインジ!」そういったらきっとこう答えるのでしょうね。
「私はあなたとは違うんです」
―求められる真の農業政策―
郡山と須賀川の境に、お勧めの自然食レストランがあります。その名は「銀河のほとり」。
うまい、安い、しかも安心と三拍子揃って文句の付け様がありません。私達の評価は星5つ、ミシュランの格付けなんのその、銀河のほとりを差し置いて星の数を自慢するなど差し出がましいとはこのことです。
このお店、定期的にちょっとしたお祭りともいえるイベントを開催するのですが、エコロジカルな企画趣旨に賛同、共感する多種多様な人々が集まってけっこうな盛り上がりになります。
歌あり、踊りあり、そして何より美味しくしかも健康的な食物が沢山用意されますので、誰でも大満足の1日になること受けあいです。
私達夫婦にとっても生活に潤いと刺激を与えてくれる大切なイベントとなっていて毎回多少の無理をしても出かけるようにしています。
今年の夏のことです。残念ながら私に用事が入ってしまって妻だけが参加したことがありました。
イベントが終わって戻った妻から1日の楽しい出来事の様子を聞いていたのですが、一点だけ私たち夫婦が考え込んでしまった話題がありました。
それは天然酵母パンを売っていた若い女性のこと。20代のその女性、たった一人で東京から福島の山の中に移り住み有機農業を始めたとのことです。しかし、当然のこととして生活は苦しく、そのため多少でも現金収入になればとパンを焼いて売っていたそうです。
20代の若い女性が有機農業をやると決めて東京から移り住む、それもたった一人で。
その勇気と行動力は私達夫婦の比ではありません。決断までの悩みと逡巡はいかほどであったでしょうか、想像にかたくありません。
この女性に限らず、環境意識の高まりと共に若い世代にも田舎回帰の流れが生まれてきています。
それに呼応する形で、地方でも就農を目指す若者たちを受け入れる公的機関や、あるいは地域住民が協力して農業技術を教えて独り立ちできるまで支える民間施設ができてきています。
ただ、私達夫婦が考えこんでしまったというのは、現在の日本に果たして農業で自立できる環境があるのか、という点です。
有機農業を学びノウハウを身に付け、土地を手にいれて農産物を作る。それを売って収入を得て、家庭を築く。そうした志を持つ有意な若者を今の日本は許容しているのだろうか、そう考えた時その答えは残念ながら懐疑的と言わざるを得ないのです。
ということで、今回は農業問題、日本の農政について考えるところを述べたいと思います。
―農業では生活が成り立たない―
過疎化、高齢化に伴い農業・林業の担い手は減少の一途をたどり、田んぼや畑は耕作放棄地となって、ススキ・雑草が伸び放題、山も荒れて密植された針葉樹が間伐も枝打ちもされずに見捨てられている、そうした状況は移住する前にテレビや新聞の報道を通じて知っているつもりでした。
しかし、こちらに来て事前の知識どおりの実態を見て、また地域住民の声をきいて、その深刻さを改めて目の当たりにすると「今の日本をなんとかしなければならないのではないか」と真剣に思うようになって、衰退していく農業、過疎化に歯止めのかからない農村に対して効果的な手立てを講じない政府、行政が歯がゆくて仕方なくなるのです。
こちらに来てつくづく感じるのは、山村・農村は今社会問題となっている格差社会、まさにその犠牲者であるという点です。
都会の友人に田舎生活について聞かれた時も私はその視点を抜きには話が出来ません。
格差社会の犠牲者といえば、昨今の派遣社員の首切り、内定取り消しや、非正規社員を中心としたワーキングプア、ネットカフェ難民の増加、また平均年収が200万にも満たない母子世帯や老々介護世帯、および生活保護世帯の急増など話題に事欠くことありませんが、地方格差については取り上げられることも少なく、またその本質が語られることもほとんど無いように感じます。
地方格差の解消といえば、道路作りの免罪符としてしか取り上げられないではありませんか。
しかし、道路族議員が念仏の様に「道路作れ、道路作れ、道路作れ」と唱えて、その時にだけ「地方格差の解消」を金科玉条のお題目に掲げても、実際に格差が解消することなどあり得ません。
地方格差の実態を明らかにしてその上で、改善のための抜本的な施策を行うといった本当の政策ではないからです。
都市部と地方の格差として決定的なのが「経済格差」です。私達の集落、また近隣で専業農家を見ることはありません。
理由は単純明快、農業だけでは食べていけないからです。
畑には野菜が植えられ、秋には稲の穂が金色の輝く田んぼが目に入るのですが、実はそれは片手間の作業によるもの。そうした一見農家の人達も山の仕事であったり町中の企業に就職していたりして、本業を別に持っているのです。
友秋さんは米作りを縮小し家の前の数反歩だけ、山の仕事の合間をぬってお米を作っていますが、そうした友秋さんの農作業に周囲は冷ややかな視線を向けています。
「米作るなんて馬鹿じゃねえか、借金こさえるだけだ」
この秋、刈り取りをやっている友秋さんに話を聞いてみました。
「コンバイン借りるだけで1反歩(300坪)3万円かかるんだよ、そのお金払ったら後には何も残んね。肥料や薬の代金引いたら赤字だよ。コンバインさえ持ってれば少しは金になるんだろうけど」
1反歩で収穫されるお米は5俵ほど、良くて6俵です(1俵は60キロ)。農協の米の買い取り価格はその年により異なりますが、価格の安い寒冷地米しかとれない当地では大体1俵1万円から1万2000円ほど。
すなわち、1反歩あたり6万前後にしかならないうち、3万円、ちょうど半分が刈り取り費用で持っていかれてしまうのです。
それではコンバインを持っていれば利益が出て、米作りで生計が維持できるのでしょうか。
友秋さんより少し手広く米作りをやっている、長治さんの刈り取りを手伝いに行ったときのことです。
「この前は中古のコンバイン買ったんだけど、故障続きでだめだった。それで新品を買ったんだけどやはり数年もすると故障が多くなる。これはこの前修理してもらったばっかりだから大丈夫」
そう言って刈り取りを始めたものの、動いては止まり、動いては止まりの連続。
動いているときは確かに効率よく刈り取って、お米をコンバイン内に溜め込み稲ワラを紐で結びながらポン、ポンと調子よく吐き出すものの、いかんせんあっという間に止まってしまいます。
私達夫婦や手伝いに来た人達は、長治さんがコンバインを直すのを見ながらあぜに座って世間話、結局この日は修理しきれずに刈り取り中断となりました。
このコンバイン、軽ワゴンより一回り大きいくらいですが購入価格は約250万とのこと。長治さん、「ローンを払い終わるころにはまた次の買わなくてはならなくて、いつもローンを払ってる」と笑っていました。
コンバインは使い方にもよりますが10年持てば良いほうだそうです。維持費、修理代、燃料代を考えると「反(300坪)」単位ではなくて、「町(3000坪)」で米作りをしないとメリットは出ないことになります。
地元の方々の平均的な耕作面積を考えれば、コンバインを持っていれば利益が出るというものではないことは明白です。
友秋さんにコンバインのリース料を聞いたとき、「なんて高いんだろう」と思いましたが、長治さんの刈り取りを手伝ってみれば1反部3万円の刈り取り料は妥当だと認識が変わってしまうのです。
かくして、お米を作っても収入にはならず、かといって他の農産物でお金が稼げるわけもなく、農業で生計を立てることは不可能ということになります。
しかし、安定した収入を得られるような企業は山村には存在せず、結果的に中山間地に暮らす人々は経済的に追い詰められることになるわけです。
この、都市との経済格差は必然的に教育の格差を生み出します。
「役場に勤めることの出来た者だけが子供を大学にやれる、そうじゃなければ子供を大学にやることはできねえ」この言葉を幾度聞いたことでしょう。
アラ50の同世代の人から「自分たちの時の高校進学率は約50%、中学3年で進学組と就職組に分けられるがそれはちょうど半々だった」そう聞いてショックを受けたことがありました。
私の場合、中学3年の時、クラス43人中、中学卒業で就職したのはわずか1名、しかもその生徒は2年の時に地方から転校してきた女の子。成績は上の下くらいだったと思います。いつも真ん中より上でした。学業不振が高校進学を断念させた理由ではありません。
教育格差は、情報化社会の進展がより一層の拍車をかけます。
前にも書きましたが私の電話回線は未だにアナログ、実質的にネットが使えませんし、携帯も電波が届かず使えません。この地域、ネットに接続している人もいるのですが、その数多いとは聞いていません。
都市ではネットが当たり前、どのような情報も瞬時に得ることが出来るどころか、生活のあらゆる場面でネットが有効利用されるようになってきています。しかし、地方は取り残されたままで、情報の格差が拡大し続けているのです。
経済格差、教育格差、情報格差、そしてマスコミで連日流される都会での華美に彩られた表層的な生活は心理格差を生み出します。
地域の人達が、本当は豊かであるはずの生活に自信が持てないのも当然、若者達が都市にあこがれ流出するのも当然、それを止められない親もこれまた当然なのです。
地域の方たちは田舎から都市への流れに逆流した私達を変わり者として見ます。そして「私はこういうところで暮らしたかった。こんな良い所はありません」という言葉を「本当にそうなのだろうか」といった面持ちで聞くのです。
私は心の底からこの地区、那倉の生活を豊かだと思っています。
私の思う豊かさについてはまた改めてご報告しますが、もちろん世間一般でいう経済的豊かさではあるはずはありません。従ってお金や物ではなく、心の充実を求めて若者がやってくるのは十分理解できるのですが、果たして生活の基盤を憧れの有機農業だけで築くことができるのかというと、私は「難しい」と否定的にならざるを得ないのです。
現状を変えないまま、若者の志だけを評価して美徳のごとく言う風潮はやはり無責任と言わざるを得ず、抵抗を感じてしまうのです。
―鮫川村はえらい―
それでは地方と都市の格差解消の有効な手立てはあるのでしょうか。
負の連鎖の原点が経済格差であることは明白ですので、そうであればまず経済格差からなんとかしなければなりません。
農業で食べていける、生計が維持できる、子供に十分な教育を受けさせることができる、その保障があれば農業を止めざるを得なかった人達も戻ってきますし、就農希望の若者も受け入れることができます。親も子供達の都市への流出を止めることができるでしょう。
実は、私はその解決策、施策は決して難しいこととは思えないのです。
農作物を政府が適切な価格で買い取ればいいだけではありませんか。その制度を作ることはそれほど難しいことなのでしょうか。
その実例を鮫川村が行っています。鮫川村では大豆で村おこしを政策に掲げ、村内で生産された大豆を買い取っているのです。作業に見合う価格で村が買い取りを保障するならみんな大豆を作るようになります。
結果として農業から身を引いていた高齢者が耕作放棄地を再び畑に変えるようになりましたし、買い取った大豆を豆腐、納豆、おからコロッケなどの加工食品として村の農産物販売所で販売していますので、これを目当てに近隣の市町村からも人々が集まってきます。
この大豆、遺伝子組み換えではありませんし、おまけに低農薬にすることを決めていますので、作る方も買う方も安心。さらにフードマイレージも低いとあって文句のつけようがありません。
これこそ真の地域活性化であり、住民のための政治ではありませんか。
米が余っているからと減反を強いる政府、米が余っていて倉庫代がバカにならない、そういうのであれば小麦、大豆、とうもろこし、その他農産物の買取制度を設ければいいでしょう。
米以外の作物が高値で売れるのなら農家は転作して米の生産は減少するに決まっています。
こういうと必ず言われるのが、
「買い取る金がない、財源をどう確保するんだ」
でもそうでしょうか。
世界の最貧国の北朝鮮脅威論ほどバカバカしいものはないと私は思っています。
木造小型漁船に時代遅れのソ連製のライフル乗っけて日本海を警戒させているような国、食糧援助、エネルギー援助を得るための口実に核開発を持ち出しているだけの国に対して、アメリカ、ロシア、中国などの大国の核武装と同列に論じて脅威だ脅威だと騒ぎ立てるのは無理がある以上に滑稽ですらあります。
軍備に湯水のように税金を垂れ流すのを少しでも見直し、アメリカがぼったくり価格で売りつける戦闘機1台でも購入をやめて、その費用を農業支援にあてれば国産穀物買取制度の創設は難しいことではないと思うのです。
農産物の買取を政府が実施すれば、食糧自給率が上昇するのは必然、それはアメリカの属国から、真の自立した国への転換の第一ステップでもあるはずです。
現在の為政者に「本当の国益を考えて、国民のための政治をやってくれ! チェインジ!」そういったらきっとこう答えるのでしょうね。
「私はあなたとは違うんです」
第11話 「私が証明なの」の巻
08.12.01里山の味 天然工房
―軟弱人間の生活設計−
「もう都会暮らしはうんざりだ。もっと人間らしい生活をするんだ!」とIターンを決心した際、具体的な行動の第一歩は住居探しですが、実はその前段階があります。
言うまでもなく移住後の生活設計です。
これは田舎暮らしを希望する人、一人ひとりその背景が違いますので、一概にどうこうはいえません。十分な蓄財があれば高い土地でも買って豪邸建ててのんきに生きてください、なんにも問題はありません、私のコメントもありません。しかし、蓄えが無い場合は移住後に収入を得る方策を立てなくてはならず、これが田舎暮らしの大きな障壁になります。
私たちの場合は当然後者、なんとか現金収入の手立てを考えなくてはなりませんでした。
ところが、田舎暮らしの経験はありませんし、移住先すら決まっていない状況ですので、頭の中でいくら生活設計といってお金を稼ぐ構想をねったところで所詮言葉のからまわり、空虚ここに極まれりの状態です。
「大丈夫なのか?本当にそれでやっていけるのか?」と問われても自分自身からして自信がないのですから返事のしようがありません。
「どうでしょうねえ、やってみるしかありませんよね」となにやら他人事のような返事をします。そこで必然的に起こるのが親、兄弟、親戚一同、友人、知人、赤の他人、要するに身の回りのすべての人からの非難ごうごうの大バッシングです。
「おまえそんな甘い考えでめし食っていけると思っているのかああ!! このバカタレがああ!!」
いったいどれくらいボロクソ言われたことでしょう。どれだけ非難の集中攻撃を受けたことでしょう。本当にひどいもんです。
この中で特に印象的だったのがこちらに来る直前、バイト先で一緒になった地方出身の人でした。田舎暮らしをするといえば必ず反対されますので私は極力人に言わないようにしていたのですが、職場の知り合いが口をすべらせバイト連中に言ってしまったのです。
生活が成立たず都市に出稼ぎに来ていた彼は私を質問攻めにした挙句、「田舎暮らしはそんな甘いもんじゃねえ、生活していけるわけねえ」と顔を真っ赤にして怒り出しました。生活苦に苛まれた過去があって、鬱積した苦しみが爆発して抑えられなくなってしまったのでしょう。
しかし、私は思うのです。地方での生活が苦しいこと自体が本来間違っているのではないかと(この点はいずれ書きます)。
ある種の特権階級や事業に成功したとか先祖代々のお金持ち、あるいは特別な能力を持つ者だけが快適な田舎暮らしができるということがあってはならない、誰だって山村地に居を構えて豊かな自然環境の恩恵を享受していいはずではありませんか。
都市部に住む人達にとって田舎暮らしのイメージは2つの類型に集約されるのではないでしょうか。
1つは「人生の楽園」型。有名大企業や役場を勤め上げた、あるいは仕事に成功を納めて、人生の後半を自然環境豊かな農村部で悠々自適に過ごそうというパターン。
もう1つは言うまでもなく「銭金」型で、金はないけど体力、気力は人一倍。自給自足こそ田舎暮らしの真髄として、スーパーマンなみに広大な農地を耕し、ついでに自分の家もセルフビルドして、「これくらい朝飯前」と豪語してしまうパターンです。
私はこの2つのステレオタイプを否定するつもりは毛頭ないのですが、もう一つパターンがあっていいと思うのです。体力、根性人並み以下、おまけに財力も無いといった者の田舎暮らしです。
野菜をつくるぞ! と頑張ってみてもできるのはせいぜい家庭菜園どまり、のこぎりかなづち持ったことも無く、犬小屋つくりの構想だけでも1日かかってしまう。おまけに肝心のお金もたいして持ってない。
こういった、取り立てて優れた能力や才能を持たない人並み以下の人間でも自然環境豊かな山村で人間らしい生活が出来る、その点がもっと強調されていいように思うのです。
私が目指したのは(といえば聞こえはいいのですが、実際はこれ以外の選択肢はありません)軟弱人間の田舎暮らしです。
お金持ち、あるいは疲れることを知らない屈強な人達が田舎暮らしに成功したって共感は得られない、それが当たり前でしょう。そうではない、ごく普通の人間でも田舎暮らしは出来る、私はそうした例になりたかったのです。
特別な能力を持たない人間の田舎暮らしを身をもって示し、そして田舎暮らしは誰だって出来るんだ、だからもっとみんな都会なんかにしがみついていないで田舎においでよ! と言いたいのです。
―とにかく働かないと!ー
ということで、今回は恥ずかしながら無能人を自認する我が家の経済状況の紹介です。
まず、移住に掛かった費用の概算です。
当初の借家は家賃月額32,000円。礼金10万円でした。こちらで購入した高額のものというと中古の軽自動車50万円とやはり中古の冷蔵庫と洗濯機で10万円くらい。草刈機など小額の出費はありますが大きな買い物はありません。家財道具は今まで使っていたものを基本的に持ってきています。
これに引越し代金が加わりますが、合計でも100万はいっていないでしょう。
移住先を探す際は青春18切符を買って早朝東京を出ました。福島県の白河や郡山に着くと駅のレンタカーを借り、各市町村の空家を見て回りました。夜はホテルには泊まらず深夜に東京に戻ります。体力的にはきついのですがこれが一番安上がりでした。
移住して8年目の現在の収入源は2つです。
こちらに来てまず始めたのがパン屋です。妻は朝はパン食を望みましたが近くにパン屋さんはなく、しかたなく自分で焼き始めたのですが、これがやみつきになってパン屋をやりたいと言い出しました。このパン屋を始めるいきさつや今に至る経緯はまた別の機会に詳しくご報告します。
パン屋をやるにあたっては、縫製工場だった建物を倉庫として購入していましたので、大工さんに保健所から製造の認可を頂けるよう工場内の食堂部分を改修してもらい、一番小さな業務用ガスオーブン、小型のミキサーやホイロ(発酵器)などを備えました。
元縫製工場は85坪の軽量鉄骨プレハブ、築約30年、これを120万円で手に入れました。これに各種税金、登記代、パン工房の改修を含めた倉庫補修代などが合計で100万円強。棚も用意しましたので倉庫にはあわせて約230万かかっています。
地代は別に年8万円かかります。固定資産税が3万弱ですので、固定費は年12万弱ということです。
この元縫製工場、初めは賃貸にして欲しいと申し出たのですが、先方の売却したい旨の意向が強くこちらが折れる形で購入になりました。しかし、自分のものであれば好きかってに利用できますので、買ってよかったと思っています。
パン屋を始めるに要したものは設備としてオーブンが約25万、ミキサー約20万、ホイロ約15万が大きなところ、その他備品類は購入したのは必要最低限で、既に持っているものを流用したり、またもらったりしました。
たまたま役場に行った時のことです。役場の新、改築が終わって引越しの最中でした。その時、妻が目ざとく職員の方が流し台を運んでいるのを発見したのです。すかさず「これどうするんですか?」と聞けば「破棄します」との返事。間髪いれずに「私にください!」といってタダでもらいました。
この他、テーブルやイスなどは倉庫に置いてあったものを洗って、また一部はペンキを塗って使っています。
―田舎のメリットを活かすー
収入源の2つめは作業所です。前述の85坪の倉庫と新たに建てた28坪のプレハブを利用して、各種商品の保管、発送、それに伴う作業を請け負っています。
サラリーマンをやっていた時、困ったことの一つに信頼のおける倉庫業者を探すということがありました。地代、建物の賃料の高い都市部に広いスペースを必要とする物流の拠点を置くことは得策ではありません。しかし、商品、製品の保管、発送、それに伴う作業を適切な価格でしかも間違いなくやってくれる業者を探すことは至難の業でした。
そうした経験から安価な物件を手に入れることさえ出来れば、後は努力次第で物流関連の仕事を受注し生計を立てることができるだろう、そう思っていたのです。
始めてみれば、予想以上に仕事の話は舞い込んできました。営業を一切しなくても友人、知人の伝手で問合せが入ってくるのです。
こうした仕事はけっこう煩雑で時間がとられるわりには単純作業とみられますので、高収入を期待することができません。朝から晩まで休み無く働いてなんぼの世界ですので、やはり引き受け手が少ないのでしょう。
当初はパン屋を始めていましたので、契約は1件のみにしました。その後、パンの経営が軌道に乗るにあわせ、契約を3件まで増やしました。
3年前、3件目の契約をするにあたって新しい倉庫(28坪)を建てました。このプレハブには、古い物置小屋の撤去、整地、寒冷地仕様の土台を含めて約400万円かかりました。
400万円といえばまとまった金額で、出費としては大きなものでしたが、もし同じような28坪の物件を街中で借りるとしたら安くても月7〜8万くらいの賃料はかかるでしょう。仮に月8万とすれば年100万かかるということです。
ここは地代がタダ。建物に多少の出費があっても4〜5年事業を継続すれば採算が取れると思って新築の決断をしたのです。
なお、5年前に現在の借家に移った際、パン工房改築分を合わせた家の補修に300万強かかりました。この時の支出によって北村家の蓄財は完全に底をつき、政府が言う無貯蓄家庭へと転落しました。
新しい倉庫を建てようとした3年前は、2件目の契約が入って生活に余裕が生まれるようになってはいましたが、まだ貯蓄といえるほどではなく家中のお金をかき集めても400万には程遠い状況でした。
なんとかお金が借りられれば、その借金は契約した3件目からの収入を充てて返すことができるのですが、お金を借りるといっても銀行が貸してくれるわけがありませんし、またサラ金には手を出したくありません。
困った私は最後の手段に打って出ることにしました。それは建築業者さんへの直談判です。すべて正直に話して依頼してみたのです。
「400万もっていません。でも必ず絶対に返しますので先に建ててください。私を信じてください。お願いします」
この時、この業者さん「仕入れ(プレハブ本体280万)に掛かる費用を頭金でもらえれば、残り工事にかかる費用(120万)はいつでもいい」と言ってくれたのです。
目の前が明るくなるということはこういうことだと実感しました。280万はわずかにたまった貯蓄を出して、不足する部分は50歳を過ぎた大人としては大変恥ずかしいのですが年金暮らしの親のすねを削りました。しかたない。
業者さんには5万、10万単位で返済し、1年かからずに返し終えました。北村、やるときはやるのです。
こうしてみると、移住そのものには多額の出費は掛かっていません。土地や建物を購入したり、高価なクルマを買うのでなければ、それほどかかりはしないのです。借家を借りることができれば、都市部にいるより居住にかかる費用が少なくなるのは間違いないのですから。
私達の場合、出費の大部分は仕事をスタートさせるためのものでしたが、その支出は可能な限り低く抑えたつもりです。例えば、パン屋にしても店舗を構えるとなれば、店舗代、内装工事にショーケースをはじめとした設備・備品類、そして人件費に多額の費用がかかりますので、店舗を持つことは初めから考慮していませんでした。
卸しのみであれば製造に必要な設備だけですので、初期投資も少なくてすみますし、人を雇う必要もありません。その後のリスクも軽減できるのです。
以上、移住し仕事を始めてからの8年間の主な支出についてご紹介しました。
トータルで1000万近くになっていると思うのですが、移住前にその全額を準備していたわけではありません。移ったその年からパン屋と作業所をはじめていますので、こちらに来てからの収入で賄った部分がほとんどです。
移住と仕事を始めるための初期投資については、私達はその価値は十分あったと判断しています。なにより、仕事を得ることによって生活が安定しましたし、それは単に生活にとどまらず精神的な面でも私たちに大きな安定を与えてくれています。
特に自営業というのは定年がありませんので、元気であれば70でも80でも働くことができます。また、職場の複雑な人間関係に悩まされることもありません。
私は個人的には、田舎のメリット(私の場合は土地も建物も安いという点、この他にも多くのメリットがあると思ってます)、その利点を活かしてビジネスを始めるべきだ、そう思っています。
―軟弱人間の生活設計−
「もう都会暮らしはうんざりだ。もっと人間らしい生活をするんだ!」とIターンを決心した際、具体的な行動の第一歩は住居探しですが、実はその前段階があります。
言うまでもなく移住後の生活設計です。
これは田舎暮らしを希望する人、一人ひとりその背景が違いますので、一概にどうこうはいえません。十分な蓄財があれば高い土地でも買って豪邸建ててのんきに生きてください、なんにも問題はありません、私のコメントもありません。しかし、蓄えが無い場合は移住後に収入を得る方策を立てなくてはならず、これが田舎暮らしの大きな障壁になります。
私たちの場合は当然後者、なんとか現金収入の手立てを考えなくてはなりませんでした。
ところが、田舎暮らしの経験はありませんし、移住先すら決まっていない状況ですので、頭の中でいくら生活設計といってお金を稼ぐ構想をねったところで所詮言葉のからまわり、空虚ここに極まれりの状態です。
「大丈夫なのか?本当にそれでやっていけるのか?」と問われても自分自身からして自信がないのですから返事のしようがありません。
「どうでしょうねえ、やってみるしかありませんよね」となにやら他人事のような返事をします。そこで必然的に起こるのが親、兄弟、親戚一同、友人、知人、赤の他人、要するに身の回りのすべての人からの非難ごうごうの大バッシングです。
「おまえそんな甘い考えでめし食っていけると思っているのかああ!! このバカタレがああ!!」
いったいどれくらいボロクソ言われたことでしょう。どれだけ非難の集中攻撃を受けたことでしょう。本当にひどいもんです。
この中で特に印象的だったのがこちらに来る直前、バイト先で一緒になった地方出身の人でした。田舎暮らしをするといえば必ず反対されますので私は極力人に言わないようにしていたのですが、職場の知り合いが口をすべらせバイト連中に言ってしまったのです。
生活が成立たず都市に出稼ぎに来ていた彼は私を質問攻めにした挙句、「田舎暮らしはそんな甘いもんじゃねえ、生活していけるわけねえ」と顔を真っ赤にして怒り出しました。生活苦に苛まれた過去があって、鬱積した苦しみが爆発して抑えられなくなってしまったのでしょう。
しかし、私は思うのです。地方での生活が苦しいこと自体が本来間違っているのではないかと(この点はいずれ書きます)。
ある種の特権階級や事業に成功したとか先祖代々のお金持ち、あるいは特別な能力を持つ者だけが快適な田舎暮らしができるということがあってはならない、誰だって山村地に居を構えて豊かな自然環境の恩恵を享受していいはずではありませんか。
都市部に住む人達にとって田舎暮らしのイメージは2つの類型に集約されるのではないでしょうか。
1つは「人生の楽園」型。有名大企業や役場を勤め上げた、あるいは仕事に成功を納めて、人生の後半を自然環境豊かな農村部で悠々自適に過ごそうというパターン。
もう1つは言うまでもなく「銭金」型で、金はないけど体力、気力は人一倍。自給自足こそ田舎暮らしの真髄として、スーパーマンなみに広大な農地を耕し、ついでに自分の家もセルフビルドして、「これくらい朝飯前」と豪語してしまうパターンです。
私はこの2つのステレオタイプを否定するつもりは毛頭ないのですが、もう一つパターンがあっていいと思うのです。体力、根性人並み以下、おまけに財力も無いといった者の田舎暮らしです。
野菜をつくるぞ! と頑張ってみてもできるのはせいぜい家庭菜園どまり、のこぎりかなづち持ったことも無く、犬小屋つくりの構想だけでも1日かかってしまう。おまけに肝心のお金もたいして持ってない。
こういった、取り立てて優れた能力や才能を持たない人並み以下の人間でも自然環境豊かな山村で人間らしい生活が出来る、その点がもっと強調されていいように思うのです。
お金持ち、あるいは疲れることを知らない屈強な人達が田舎暮らしに成功したって共感は得られない、それが当たり前でしょう。そうではない、ごく普通の人間でも田舎暮らしは出来る、私はそうした例になりたかったのです。
特別な能力を持たない人間の田舎暮らしを身をもって示し、そして田舎暮らしは誰だって出来るんだ、だからもっとみんな都会なんかにしがみついていないで田舎においでよ! と言いたいのです。
―とにかく働かないと!ー
ということで、今回は恥ずかしながら無能人を自認する我が家の経済状況の紹介です。
まず、移住に掛かった費用の概算です。
当初の借家は家賃月額32,000円。礼金10万円でした。こちらで購入した高額のものというと中古の軽自動車50万円とやはり中古の冷蔵庫と洗濯機で10万円くらい。草刈機など小額の出費はありますが大きな買い物はありません。家財道具は今まで使っていたものを基本的に持ってきています。
これに引越し代金が加わりますが、合計でも100万はいっていないでしょう。
移住先を探す際は青春18切符を買って早朝東京を出ました。福島県の白河や郡山に着くと駅のレンタカーを借り、各市町村の空家を見て回りました。夜はホテルには泊まらず深夜に東京に戻ります。体力的にはきついのですがこれが一番安上がりでした。
移住して8年目の現在の収入源は2つです。
こちらに来てまず始めたのがパン屋です。妻は朝はパン食を望みましたが近くにパン屋さんはなく、しかたなく自分で焼き始めたのですが、これがやみつきになってパン屋をやりたいと言い出しました。このパン屋を始めるいきさつや今に至る経緯はまた別の機会に詳しくご報告します。
パン屋をやるにあたっては、縫製工場だった建物を倉庫として購入していましたので、大工さんに保健所から製造の認可を頂けるよう工場内の食堂部分を改修してもらい、一番小さな業務用ガスオーブン、小型のミキサーやホイロ(発酵器)などを備えました。
元縫製工場は85坪の軽量鉄骨プレハブ、築約30年、これを120万円で手に入れました。これに各種税金、登記代、パン工房の改修を含めた倉庫補修代などが合計で100万円強。棚も用意しましたので倉庫にはあわせて約230万かかっています。
地代は別に年8万円かかります。固定資産税が3万弱ですので、固定費は年12万弱ということです。
この元縫製工場、初めは賃貸にして欲しいと申し出たのですが、先方の売却したい旨の意向が強くこちらが折れる形で購入になりました。しかし、自分のものであれば好きかってに利用できますので、買ってよかったと思っています。
パン屋を始めるに要したものは設備としてオーブンが約25万、ミキサー約20万、ホイロ約15万が大きなところ、その他備品類は購入したのは必要最低限で、既に持っているものを流用したり、またもらったりしました。
たまたま役場に行った時のことです。役場の新、改築が終わって引越しの最中でした。その時、妻が目ざとく職員の方が流し台を運んでいるのを発見したのです。すかさず「これどうするんですか?」と聞けば「破棄します」との返事。間髪いれずに「私にください!」といってタダでもらいました。
この他、テーブルやイスなどは倉庫に置いてあったものを洗って、また一部はペンキを塗って使っています。
―田舎のメリットを活かすー
収入源の2つめは作業所です。前述の85坪の倉庫と新たに建てた28坪のプレハブを利用して、各種商品の保管、発送、それに伴う作業を請け負っています。
サラリーマンをやっていた時、困ったことの一つに信頼のおける倉庫業者を探すということがありました。地代、建物の賃料の高い都市部に広いスペースを必要とする物流の拠点を置くことは得策ではありません。しかし、商品、製品の保管、発送、それに伴う作業を適切な価格でしかも間違いなくやってくれる業者を探すことは至難の業でした。
そうした経験から安価な物件を手に入れることさえ出来れば、後は努力次第で物流関連の仕事を受注し生計を立てることができるだろう、そう思っていたのです。
始めてみれば、予想以上に仕事の話は舞い込んできました。営業を一切しなくても友人、知人の伝手で問合せが入ってくるのです。
こうした仕事はけっこう煩雑で時間がとられるわりには単純作業とみられますので、高収入を期待することができません。朝から晩まで休み無く働いてなんぼの世界ですので、やはり引き受け手が少ないのでしょう。
当初はパン屋を始めていましたので、契約は1件のみにしました。その後、パンの経営が軌道に乗るにあわせ、契約を3件まで増やしました。
3年前、3件目の契約をするにあたって新しい倉庫(28坪)を建てました。このプレハブには、古い物置小屋の撤去、整地、寒冷地仕様の土台を含めて約400万円かかりました。
400万円といえばまとまった金額で、出費としては大きなものでしたが、もし同じような28坪の物件を街中で借りるとしたら安くても月7〜8万くらいの賃料はかかるでしょう。仮に月8万とすれば年100万かかるということです。
ここは地代がタダ。建物に多少の出費があっても4〜5年事業を継続すれば採算が取れると思って新築の決断をしたのです。
なお、5年前に現在の借家に移った際、パン工房改築分を合わせた家の補修に300万強かかりました。この時の支出によって北村家の蓄財は完全に底をつき、政府が言う無貯蓄家庭へと転落しました。
新しい倉庫を建てようとした3年前は、2件目の契約が入って生活に余裕が生まれるようになってはいましたが、まだ貯蓄といえるほどではなく家中のお金をかき集めても400万には程遠い状況でした。
なんとかお金が借りられれば、その借金は契約した3件目からの収入を充てて返すことができるのですが、お金を借りるといっても銀行が貸してくれるわけがありませんし、またサラ金には手を出したくありません。
困った私は最後の手段に打って出ることにしました。それは建築業者さんへの直談判です。すべて正直に話して依頼してみたのです。
「400万もっていません。でも必ず絶対に返しますので先に建ててください。私を信じてください。お願いします」
この時、この業者さん「仕入れ(プレハブ本体280万)に掛かる費用を頭金でもらえれば、残り工事にかかる費用(120万)はいつでもいい」と言ってくれたのです。
目の前が明るくなるということはこういうことだと実感しました。280万はわずかにたまった貯蓄を出して、不足する部分は50歳を過ぎた大人としては大変恥ずかしいのですが年金暮らしの親のすねを削りました。しかたない。
業者さんには5万、10万単位で返済し、1年かからずに返し終えました。北村、やるときはやるのです。
こうしてみると、移住そのものには多額の出費は掛かっていません。土地や建物を購入したり、高価なクルマを買うのでなければ、それほどかかりはしないのです。借家を借りることができれば、都市部にいるより居住にかかる費用が少なくなるのは間違いないのですから。
私達の場合、出費の大部分は仕事をスタートさせるためのものでしたが、その支出は可能な限り低く抑えたつもりです。例えば、パン屋にしても店舗を構えるとなれば、店舗代、内装工事にショーケースをはじめとした設備・備品類、そして人件費に多額の費用がかかりますので、店舗を持つことは初めから考慮していませんでした。
卸しのみであれば製造に必要な設備だけですので、初期投資も少なくてすみますし、人を雇う必要もありません。その後のリスクも軽減できるのです。
以上、移住し仕事を始めてからの8年間の主な支出についてご紹介しました。
トータルで1000万近くになっていると思うのですが、移住前にその全額を準備していたわけではありません。移ったその年からパン屋と作業所をはじめていますので、こちらに来てからの収入で賄った部分がほとんどです。
移住と仕事を始めるための初期投資については、私達はその価値は十分あったと判断しています。なにより、仕事を得ることによって生活が安定しましたし、それは単に生活にとどまらず精神的な面でも私たちに大きな安定を与えてくれています。
特に自営業というのは定年がありませんので、元気であれば70でも80でも働くことができます。また、職場の複雑な人間関係に悩まされることもありません。
私は個人的には、田舎のメリット(私の場合は土地も建物も安いという点、この他にも多くのメリットがあると思ってます)、その利点を活かしてビジネスを始めるべきだ、そう思っています。
第10話 土地はタダで手に入れようの巻
08.11.17里山の味 天然工房
― 田舎暮らしの落とし穴、第2弾 ―
さて今回は、無駄な出費を抑えることをテーマに考えてみたいと思います。
都会を脱出したい、そう願っている人であれば書店に溢れる田舎暮らしの本を何冊も読んで夢を膨らませているのではないでしょうか。私も買いました読みました。
うした書籍の多くが田舎暮らしの落とし穴として注意を喚起していることに「ぼったくり」があります。
都会だろうが田舎だろうが、日本全国良心的な人間もいれば性質の悪い人間もいます。ちょっと油断するとだまされてしまうのは全国共通ですが、特にいなかへの移住者が認識しなければならないことは、移住者は金を騙し取ろうとする連中の格好のターゲットになっているということでしょう。都会でお年寄りが振り込め詐欺のターゲットになっているのとまったく同じに。
移住する際には土地や住む家を確保しなければなりません。新築するにしても、あるいは家を借りるにしても補修が必要となる場合が多くなりますし、また、この他にも仕事や農作業用に適当な建物を用意したり、庭や道を整備するなど住環境を整えるために業者に依頼しなければならないことが多々発生します。
業者と交渉し、工事を依頼し、かかった費用を支払う際、その請求が適正な価格なのかあるいは必要以上に高額なのか、実はその線引きは意外に難しいのですが、いずれにしても後から後悔しないために事前の知識と対策が求められているのは間違いありません。
以下、私の実際の体験を踏まえ、注意点をまとめてみましょう。
― どんなことでも見積もりは不可欠 ―
まず、言うまでも無いことですが、いきなり知らない建設業者に話を持ちかけず、信頼のおける人に良心的な大工さんを紹介してもらうこと、さらにやることやらないことを明確にしてきちんとした見積もりを取ることは当然です。
見積もりを取り、
1. 依頼したこと以外の作業が入っていたり、余分な請求が入っていないか。
2. 1つの案件が人件費、出張料、取付代、作業料、技術料などさまざまな名目で幾重にも請求されていないか。
などを判断し、納得できれば契約、さもなくば発注しないということになります。
移住した当初、妻がパン屋をやることを希望し、水道のパイプに次亜塩素酸ソーダ(塩素)を注入するポンプを取り付ける必要が発生しました。業者に見積もりを依頼したところ40万弱とのこと。ポンプ自体は安いのですが、新たな受水層と別途くみ上げ用のポンプも必要でそのための工事費が含まれるとの事でした。
高すぎると思った私たちは発注せずに自分達でポンプを取り寄せ、付けてみました。新たな受水槽もくみ上げポンプもありませんが、ポンプは支障なく作動しています。かかった費用はポンプ代1万円のみでした。
次は見積もりを取らなかった例です。
やはり移住した当初のことです。職場として使用する中古物件を購入しその補修が必要となりました。
紹介された大工さんがお金をかけないようさまざまな案を示しその結果として提示された額もけっして高いものではなく安心することができ発注したのですが、実はここに落とし穴がありました。
大工さんが出した見積もりはあくまで建物の補修であって、電気、水道、左官の工事は入っていなかった、すなわち必要な工事に関わる多くの部分で見積もりはとっていなかったということです。
大工さんが連れてくる水道屋、電気工事業者、左官屋、さらに手伝いに呼ばれた大工が良心的だとは限りません。かえって大工さんが良心的なだけに「この人が連れてくるのだから大丈夫だろう」と油断が生じます。
結果として工事終了後、業者言いなりの請求額を支払うはめになるのですが、こうした場合自分が想定する以上の高額な請求に驚くことばかりで「安くやってくれた」と思うことはまずありません。
― 頼んでないことはやらないで ―
見積もりを取るのは実は前段階、注意しなければならないのは見積もり後、工事が始まってからです。
頼んでいないことを「ここちょっとやっといてやるよ」と笑顔で言いながら勝手にやってしまったり、さらには後から「あそこ直しておいてやったから」と言われたりすることがありました。
「それは必要ない、やらなくてよい」と明言しても「まあまあ、やっといた方がいいから」としつこく食い下がり、こちらの言うことをききません。
問題を難しくするのは、良心的な大工さんが連れてきたことに加え、こうした連中とも日々一緒に作業し、お茶を飲み会話をしているため、良心的な申し出に対して断るような雰囲気になってしまうことです。
私の場合は仮住まいにしていたプレハブに風呂をつけられたことがありました。大工さんが使っていない風呂釜とボイラーを持っていると聞きつけた水道屋が「風呂釜もボイラーもタダなんだから無いよりはあった方がいいじゃないか」と私の制止を振り切って勝手に取り付け、そしてしっかり高額な工事費を請求してきました。
「やるならやってもいいが、この件についてはタダでやってくれるのでしょうね。代金の請求はなしですよ。私は払いません」と第三者の前ではっきり言うことが必要です。
この水道屋「この棟梁(やってもらった大工さん)は絶対ぼったくりをしねえんだ」と笑って私の肩をたたいたのをよく覚えています。
また別件ですが、初めに依頼した内容から作業がどんどんずれてくることもありました。「やってみたらここのところはこう変更しなければできない」「初め思っていたより大変だったから工賃はもっと高くなる」こうした言葉が日々繰り返されるようになり、当初取った見積もりの意味がなくなりました。
このままではどれだけ高額な請求がくるかわからないと思った私は、契約を破棄し工事を途中でやめさせました。やったところまでを清算しましたが、傷口を広げる前に小さな痛手(といっても十分痛かったのですが)で済ますことができた適切な判断だったと今でも思っています。
― 手抜き工事はやらないで ―
次は友人(Aさんとします)の場合で、やはり東京から福島に移住した人の体験談です。
Aさんの仕事が忙しくなったので、就職の決まっていなかったAさんの甥を雇い入れることになり、職場に近いアパートを借りて甥を入居させました。
このアパートの風呂にはシャワーがついておらず、入居する際アパートの大家が何気なく「シャワーもつけるから」と言ったのです。夏になれば毎日風呂を沸かさなくともシャワーで済ませたいと思うのは当然で、Aさんの甥は大家に「シャワーをつけてほしい」と依頼しました。
甥はこの時、工事費を大家が払うのか、それとも自分が払うのか、その場合はいくらなのか確認していませんでした。
「たかがシャワーを付けるだけ、湯沸かし器なんか2〜3万のこと」と思ったら大きな間違いです。シャワーをつけただけで突きつけられた請求は19万8000円でした。ちなみにこのアパートの家賃は月3万円だそうです。
業者に工事を発注したのは大家です。ところがこの業者、大家とは仕事の付き合いのある仲ですのでシャワーをつけただけで20万も請求はできません。しかし、Aさんの甥にしてもわずか20歳の若者、仕事は始めたばかりで20万も持っていないのは明らかです。
そこでこの業者なんとAさん宛の請求書を切って甥に渡しました。「叔父に払ってもらえ」と。
甥にしてみれば請求書を叔父に渡すことができず、かといって支払いもできず、工事代金は未払いのまま宙に浮いた状況になりました。
そんなこととはつゆ知らず、工事が終わって数ヶ月経った頃にAさんは甥に聞きました。
「そういえば風呂のシャワーってついたの?」「つきましたけど〜」と甥から暗〜い返事。
「大家さんが払ってくれたの、それとも自分で払ったの?」「あの〜、それが、請求書はきたんですけどまだ払ってません」「まだ払ってない? いくらなの? ちょっと請求書見せてよ」と言って渡された請求書を見てAさんはひどく驚きました。請求書が自分宛に切られているではありませんか。目が点とはこのことでしょう。
早速Aさんはガス工事業者に出向き、極めて真っ当な主張をしました。
「請求書は発注した者宛てに出すものです。私はガス工事の発注をした覚えはありませんので請求書を受け取る立場にはありません」
しかもこの工事、実は手抜きでした。その後ガス漏れが発生したのです。
幸いガス爆発には至らなかったのですが、今頃Aさんの甥が20歳の短い人生を終えてあの世に旅立っていてもおかしくはありません。言語道断です。
―土地はタダでもらおうー
移住者が後悔することの多くは土地購入にまつわることかもしれません。
都市部と田舎では土地の価値観が全く異なりますが、そこに目をつけているのが一部の業者や地主で、彼らは都市での相場を引き合いに出し、その土地の安さを強調して売りつけようとします。
移住後いくら快適な生活が待っていても、初めに不当に高い土地をつかまされたと思ってしまったら、移住自体が失敗ということになりかねません。
私の住んでいるような山村部では土地の取引は一反部(300坪)が基本単位、それが常識です。そうした中で、1坪数万単位の話が持ちかけられたらまずおかしいと思わなくてはなりません。
空家を探していくつかの業者と交渉した時、おもしろいことに気付きました。家を探しているのに土地を紹介されることが多々あって、それが高額な場合、みんな必ずといっていいほど語尾に「いいよ」をつけるのです。「ここ安くしとくよ、1坪3万円でいいよ」といった具合に。
地元の方々と仲良くなれば、運がよければ200〜300坪の土地ならただでもらえることもあります。タダとまではいかなくとも一反部10万、20万で譲ってもらえることは十分にあり得ます。
土地神話は過去の話、バブルの時代の話です。
今後日本の人口は減少を続けます。田舎から都市部への人口流出は続き、山村部では過疎化が進行します。田舎の土地は余り、その価値は下がり続けるのです。土地に多額の投資をする時代ではありません。
なお、私の住んでいる那倉区の人が私たちに高額すぎる請求をしたことは一度もありません。念のため。
― 田舎暮らしの落とし穴、第2弾 ―
さて今回は、無駄な出費を抑えることをテーマに考えてみたいと思います。
都会を脱出したい、そう願っている人であれば書店に溢れる田舎暮らしの本を何冊も読んで夢を膨らませているのではないでしょうか。私も買いました読みました。
うした書籍の多くが田舎暮らしの落とし穴として注意を喚起していることに「ぼったくり」があります。
都会だろうが田舎だろうが、日本全国良心的な人間もいれば性質の悪い人間もいます。ちょっと油断するとだまされてしまうのは全国共通ですが、特にいなかへの移住者が認識しなければならないことは、移住者は金を騙し取ろうとする連中の格好のターゲットになっているということでしょう。都会でお年寄りが振り込め詐欺のターゲットになっているのとまったく同じに。
業者と交渉し、工事を依頼し、かかった費用を支払う際、その請求が適正な価格なのかあるいは必要以上に高額なのか、実はその線引きは意外に難しいのですが、いずれにしても後から後悔しないために事前の知識と対策が求められているのは間違いありません。
以下、私の実際の体験を踏まえ、注意点をまとめてみましょう。
― どんなことでも見積もりは不可欠 ―
まず、言うまでも無いことですが、いきなり知らない建設業者に話を持ちかけず、信頼のおける人に良心的な大工さんを紹介してもらうこと、さらにやることやらないことを明確にしてきちんとした見積もりを取ることは当然です。
見積もりを取り、
1. 依頼したこと以外の作業が入っていたり、余分な請求が入っていないか。
2. 1つの案件が人件費、出張料、取付代、作業料、技術料などさまざまな名目で幾重にも請求されていないか。
などを判断し、納得できれば契約、さもなくば発注しないということになります。
移住した当初、妻がパン屋をやることを希望し、水道のパイプに次亜塩素酸ソーダ(塩素)を注入するポンプを取り付ける必要が発生しました。業者に見積もりを依頼したところ40万弱とのこと。ポンプ自体は安いのですが、新たな受水層と別途くみ上げ用のポンプも必要でそのための工事費が含まれるとの事でした。
高すぎると思った私たちは発注せずに自分達でポンプを取り寄せ、付けてみました。新たな受水槽もくみ上げポンプもありませんが、ポンプは支障なく作動しています。かかった費用はポンプ代1万円のみでした。
次は見積もりを取らなかった例です。
やはり移住した当初のことです。職場として使用する中古物件を購入しその補修が必要となりました。
紹介された大工さんがお金をかけないようさまざまな案を示しその結果として提示された額もけっして高いものではなく安心することができ発注したのですが、実はここに落とし穴がありました。
大工さんが出した見積もりはあくまで建物の補修であって、電気、水道、左官の工事は入っていなかった、すなわち必要な工事に関わる多くの部分で見積もりはとっていなかったということです。
大工さんが連れてくる水道屋、電気工事業者、左官屋、さらに手伝いに呼ばれた大工が良心的だとは限りません。かえって大工さんが良心的なだけに「この人が連れてくるのだから大丈夫だろう」と油断が生じます。
結果として工事終了後、業者言いなりの請求額を支払うはめになるのですが、こうした場合自分が想定する以上の高額な請求に驚くことばかりで「安くやってくれた」と思うことはまずありません。
― 頼んでないことはやらないで ―
見積もりを取るのは実は前段階、注意しなければならないのは見積もり後、工事が始まってからです。
頼んでいないことを「ここちょっとやっといてやるよ」と笑顔で言いながら勝手にやってしまったり、さらには後から「あそこ直しておいてやったから」と言われたりすることがありました。
「それは必要ない、やらなくてよい」と明言しても「まあまあ、やっといた方がいいから」としつこく食い下がり、こちらの言うことをききません。
問題を難しくするのは、良心的な大工さんが連れてきたことに加え、こうした連中とも日々一緒に作業し、お茶を飲み会話をしているため、良心的な申し出に対して断るような雰囲気になってしまうことです。
私の場合は仮住まいにしていたプレハブに風呂をつけられたことがありました。大工さんが使っていない風呂釜とボイラーを持っていると聞きつけた水道屋が「風呂釜もボイラーもタダなんだから無いよりはあった方がいいじゃないか」と私の制止を振り切って勝手に取り付け、そしてしっかり高額な工事費を請求してきました。
「やるならやってもいいが、この件についてはタダでやってくれるのでしょうね。代金の請求はなしですよ。私は払いません」と第三者の前ではっきり言うことが必要です。
この水道屋「この棟梁(やってもらった大工さん)は絶対ぼったくりをしねえんだ」と笑って私の肩をたたいたのをよく覚えています。
また別件ですが、初めに依頼した内容から作業がどんどんずれてくることもありました。「やってみたらここのところはこう変更しなければできない」「初め思っていたより大変だったから工賃はもっと高くなる」こうした言葉が日々繰り返されるようになり、当初取った見積もりの意味がなくなりました。
このままではどれだけ高額な請求がくるかわからないと思った私は、契約を破棄し工事を途中でやめさせました。やったところまでを清算しましたが、傷口を広げる前に小さな痛手(といっても十分痛かったのですが)で済ますことができた適切な判断だったと今でも思っています。
― 手抜き工事はやらないで ―
次は友人(Aさんとします)の場合で、やはり東京から福島に移住した人の体験談です。
Aさんの仕事が忙しくなったので、就職の決まっていなかったAさんの甥を雇い入れることになり、職場に近いアパートを借りて甥を入居させました。
このアパートの風呂にはシャワーがついておらず、入居する際アパートの大家が何気なく「シャワーもつけるから」と言ったのです。夏になれば毎日風呂を沸かさなくともシャワーで済ませたいと思うのは当然で、Aさんの甥は大家に「シャワーをつけてほしい」と依頼しました。
甥はこの時、工事費を大家が払うのか、それとも自分が払うのか、その場合はいくらなのか確認していませんでした。
「たかがシャワーを付けるだけ、湯沸かし器なんか2〜3万のこと」と思ったら大きな間違いです。シャワーをつけただけで突きつけられた請求は19万8000円でした。ちなみにこのアパートの家賃は月3万円だそうです。
業者に工事を発注したのは大家です。ところがこの業者、大家とは仕事の付き合いのある仲ですのでシャワーをつけただけで20万も請求はできません。しかし、Aさんの甥にしてもわずか20歳の若者、仕事は始めたばかりで20万も持っていないのは明らかです。
そこでこの業者なんとAさん宛の請求書を切って甥に渡しました。「叔父に払ってもらえ」と。
甥にしてみれば請求書を叔父に渡すことができず、かといって支払いもできず、工事代金は未払いのまま宙に浮いた状況になりました。
そんなこととはつゆ知らず、工事が終わって数ヶ月経った頃にAさんは甥に聞きました。
「そういえば風呂のシャワーってついたの?」「つきましたけど〜」と甥から暗〜い返事。
「大家さんが払ってくれたの、それとも自分で払ったの?」「あの〜、それが、請求書はきたんですけどまだ払ってません」「まだ払ってない? いくらなの? ちょっと請求書見せてよ」と言って渡された請求書を見てAさんはひどく驚きました。請求書が自分宛に切られているではありませんか。目が点とはこのことでしょう。
早速Aさんはガス工事業者に出向き、極めて真っ当な主張をしました。
「請求書は発注した者宛てに出すものです。私はガス工事の発注をした覚えはありませんので請求書を受け取る立場にはありません」
しかもこの工事、実は手抜きでした。その後ガス漏れが発生したのです。
幸いガス爆発には至らなかったのですが、今頃Aさんの甥が20歳の短い人生を終えてあの世に旅立っていてもおかしくはありません。言語道断です。
―土地はタダでもらおうー
移住者が後悔することの多くは土地購入にまつわることかもしれません。
都市部と田舎では土地の価値観が全く異なりますが、そこに目をつけているのが一部の業者や地主で、彼らは都市での相場を引き合いに出し、その土地の安さを強調して売りつけようとします。
移住後いくら快適な生活が待っていても、初めに不当に高い土地をつかまされたと思ってしまったら、移住自体が失敗ということになりかねません。
私の住んでいるような山村部では土地の取引は一反部(300坪)が基本単位、それが常識です。そうした中で、1坪数万単位の話が持ちかけられたらまずおかしいと思わなくてはなりません。
空家を探していくつかの業者と交渉した時、おもしろいことに気付きました。家を探しているのに土地を紹介されることが多々あって、それが高額な場合、みんな必ずといっていいほど語尾に「いいよ」をつけるのです。「ここ安くしとくよ、1坪3万円でいいよ」といった具合に。
地元の方々と仲良くなれば、運がよければ200〜300坪の土地ならただでもらえることもあります。タダとまではいかなくとも一反部10万、20万で譲ってもらえることは十分にあり得ます。
土地神話は過去の話、バブルの時代の話です。
今後日本の人口は減少を続けます。田舎から都市部への人口流出は続き、山村部では過疎化が進行します。田舎の土地は余り、その価値は下がり続けるのです。土地に多額の投資をする時代ではありません。
なお、私の住んでいる那倉区の人が私たちに高額すぎる請求をしたことは一度もありません。念のため。
第9話 「生命の水」の巻
08.11.01里山の味 天然工房
東京にいた頃からさんざん悩まされていたのが手荒れや肌荒れでした。
ジャンクフード漬けだった高校生の頃、顔にひどいアトピーが出て、さらに20代後半頃からは原因不明の手荒れに苦しみました。手のひらがかゆくてたまらず、リバウンドを気にしながらステロイド剤を塗り、木綿の手袋をはめて寝ますが、夜中にかゆくてかきむしることもありました。アレルギーのような水虫のような、カユカユ、ヒリヒリ、ジクジクの三拍子です。職場の同僚の女性も同じ症状を示しており、彼女は職場でも手袋をはめていました。
この頃から添加物入りのものや肉食をほとんど絶ち、一日一食は玄米菜食にしましたが、症状は治まりませんでした。
福島に移住して最初の年の暮れからパン焼きを本格的に始めることになりました。最初の2年くらいは無我夢中でしたが、3年目頃から手を酷使するあまり手荒れが再発し始めました。パン生地に含まれる塩分が手のひらにしみて、ヒリヒリ、かゆくてたまらず皮膚科も訪ねましたがひどくなるばかり。このままではパン作りができなくなるのでは、と心配したほどです。水を触るのも辛くて、夫に洗い物をほとんどお願いしていました。
一度お客さんからの注文が作れずお詫びしたところ、その方の知り合いのパン屋さんもひどい手荒れからパン屋を辞めたという話でした。
そんなトラブルを抱え、4年目に2km先の那倉に引越し、約1年が過ぎた頃です。気がつくとそれまで水仕事の際は必ず使っていたゴム手袋をはめずに洗い物ができるようになっていました。(あれ程悩まされていたのに不思議…。何故だろう?)
その後ずっと再発していません。すっかり治ってしまったようです。食生活、環境、生活のリズム、特に変わったことはありません。強いて言えば、「水」くらいでしょうか。
それまでずっと水道水だったのが、那倉に来て初めて山の水を利用する生活に変わったのです。もしかして手荒れは水道水の塩素が原因だったのではないだろうかと、直感的に思いました。
思い当たる節では、花瓶に挿した花が、不気味にも1ヶ月以上も生き延びるのです。水は1〜2回変えるだけです。この水には、何か不思議なパワーがあるように思えてきました。
雨水が土壌に染み込み、ゆっくり流れていくうちに無数の微生物や有機物を含みます。この山の栄養分をたっぷり含んだ水が、切花を1ヶ月以上も生かしているのではないでしょうか。それを飲んでいる私達も健康で長生きできるかも知れません。
野菜だけでスープを作るとき、多くの種類を入れるほど美味しいスープが出来ますが、山の養分をたっぷり含んだ有機水と何だか似ています。
豊富な山の栄養を運びながら土壌を潤し、全ての生命を育む水。豊かな山が豊かな海を育むとはこのことです。
自然ってすごいな、偉大だなと思います。
和田 央子
東京にいた頃からさんざん悩まされていたのが手荒れや肌荒れでした。
ジャンクフード漬けだった高校生の頃、顔にひどいアトピーが出て、さらに20代後半頃からは原因不明の手荒れに苦しみました。手のひらがかゆくてたまらず、リバウンドを気にしながらステロイド剤を塗り、木綿の手袋をはめて寝ますが、夜中にかゆくてかきむしることもありました。アレルギーのような水虫のような、カユカユ、ヒリヒリ、ジクジクの三拍子です。職場の同僚の女性も同じ症状を示しており、彼女は職場でも手袋をはめていました。
この頃から添加物入りのものや肉食をほとんど絶ち、一日一食は玄米菜食にしましたが、症状は治まりませんでした。
福島に移住して最初の年の暮れからパン焼きを本格的に始めることになりました。最初の2年くらいは無我夢中でしたが、3年目頃から手を酷使するあまり手荒れが再発し始めました。パン生地に含まれる塩分が手のひらにしみて、ヒリヒリ、かゆくてたまらず皮膚科も訪ねましたがひどくなるばかり。このままではパン作りができなくなるのでは、と心配したほどです。水を触るのも辛くて、夫に洗い物をほとんどお願いしていました。
一度お客さんからの注文が作れずお詫びしたところ、その方の知り合いのパン屋さんもひどい手荒れからパン屋を辞めたという話でした。
そんなトラブルを抱え、4年目に2km先の那倉に引越し、約1年が過ぎた頃です。気がつくとそれまで水仕事の際は必ず使っていたゴム手袋をはめずに洗い物ができるようになっていました。(あれ程悩まされていたのに不思議…。何故だろう?)
その後ずっと再発していません。すっかり治ってしまったようです。食生活、環境、生活のリズム、特に変わったことはありません。強いて言えば、「水」くらいでしょうか。
それまでずっと水道水だったのが、那倉に来て初めて山の水を利用する生活に変わったのです。もしかして手荒れは水道水の塩素が原因だったのではないだろうかと、直感的に思いました。
思い当たる節では、花瓶に挿した花が、不気味にも1ヶ月以上も生き延びるのです。水は1〜2回変えるだけです。この水には、何か不思議なパワーがあるように思えてきました。
野菜だけでスープを作るとき、多くの種類を入れるほど美味しいスープが出来ますが、山の養分をたっぷり含んだ有機水と何だか似ています。
豊富な山の栄養を運びながら土壌を潤し、全ての生命を育む水。豊かな山が豊かな海を育むとはこのことです。
自然ってすごいな、偉大だなと思います。
和田 央子
第8話 蛇口をひねって夫婦仲直りの巻
08.10.11里山の味 天然工房
―知っておきたい田舎暮らしのトラブル―
田舎暮らしは何から何まで全て楽しいことばかりではなく、移住前には思いもよらなかったトラブルに見舞われたり、あるいは予想以上に不便なことに困惑するといったことがあります。そうした田舎暮らしにまつわる負の側面にも触れておかなければならないでしょう。
今回はその第1回目、生活編です。
<文明の利器は困り者>
私たち夫婦にとって一番つらいことは、電話回線がアナログであることです。ADSLや光回線どころか、ISDNさえ繋げず、結果として事実上インターネットが使えません。
一応繋がることは繋がっているのですが、メールに少し大きい写真が入っていると受信に数十分かかってしまったりパソコンがフリーズしたりします。ネットも1枚1枚画面が変わるのをディスプレーの前で延々と待たなくてはなりません。
そんな状況ですのでネットサーフィンや最近流行りだした映画の配信など望むべくもありません。ネットは生活の一部、不可欠となっている方は移住前に電話回線の確認が必要です。
なおアナログ回線ですとその後もさまざまなトラブルが待ち受けています。
都市部で使っていたコンピュータや新しいデスクトップなどはそのままでは使えずアナログ用のモデムを用意しなくてはなりません。しかし、今時アナログモデムを取り扱うところは少なく取り寄せもスムーズにいかない場合があります。
加えて、山間部では落雷、停電が多くちょっとした過電流でモデムやその周辺部品がこわれますのでその対策も必要になります。私たちもモデムが壊れる度それなりの対策を講じてきているのですが、今までコンピュータ関係で右往左往しなかった夏はありません。もちろん今年の夏もやられました。
なお、あまり山奥ですと電気を引いてもらえないことがあります。詳しく分からないので申し訳ないのですが、通常電気を引くのは無料ですが、一番近い電柱から一定の距離を超えると有料で、その場合の工事費負担がかなりの額になるとのことです。
携帯電話も圏外ということがあります。ここは数年前となりの村に電波塔が立てられましたので我が家でもアンテナをつければ繋がるそうです。テレビも裏山にアンテナを2本立てていますが、地上波の受信状況は最悪で映ったり映らなかったりです。
<雨が降れば体力づくり>
私たちにとって大きな悩みの2つめは道の補修です。舗装された町道に出るまで800メートルほど砂利道があるのですが、この砂利が雨が降るたび流されるのです。
「道」は山の地形の中では「溝」です。川に水が集まるのと同じ原理で道が水を集め、台風やちょっとした大雨で道に多量の水が流れます。アスファルトを敷けば砂利の流出は解決しますがそれには費用がかかり、その高額な費用負担ができない場合は、道を横断するように排水溝を掘るしかありません。U字溝を入れその周りをコンクリで固め蓋をするのですが、これも素人の手作業でできることではなく、私たちの場合は1本8〜10万円ほどで3本の排水溝を業者に作ってもらいました。
U字溝があるのと無いのでは大違いで、以後流される砂利の量は大幅に減りましたが、所詮は対処療法に過ぎませんのでときどきデコボコになった道の補修をしています。
町道、村道でもほとんど舗装されていますので、新しく家を探す場合はそうした道沿いの家をお勧めします。
<裏山がうらめしい>
この他、予想以上だったのが夏場のカビです。田舎の家というと北側に裏山を背負うことが多くなっていますが、この裏山の木々が放つ水蒸気が湿気となって下りてきて家をじっとりと湿らせます。
私たちはそれを知らなかったために大きな失敗をしました。家の補修をする際、家の北側の壁に使われていた板が腐り崩壊状態でしたので、修理するのではなく新しく作り直すことにしたのですが、その時窓を作らずすべて壁にしてしまったのです。
結果として家の中に風の通らない部分が多くなってしまいました。それも特に湿気の強い北側に。カビの繁殖力は猛烈です。しかも何か特定のものだけがかびるというのではなく、金属以外家の中にあるものすべてがかびるのです。食器棚も床もたたみもふとんも。
夏場は常に家中掃除するほか、除湿機をかけ、さらに布団や洗濯済みの衣類なども毎日のように日に当てなくてはなりません。
いきなり家を新築することはお勧めしていないのですが、もし家を建てられるときは、裏山から離すこと、床下の換気に配慮することが不可欠です。
<寒すぎる>
冬場の寒さも覚悟していた以上でした。標高600メートルを超える山の中の寒さは、都会でしか暮らしたことの無い私たちには強烈でした。
新しい家であればさまざまな防寒対策がほどこされているのでしょうが、古い民家には家全体を温めるといった考えがありません。こうした家屋では暖房機器が切られた後、すなわち私たちの就寝後際限なく冷え込みます。朝起きると家の中も氷点下、全てのものが凍り付いているのが当たり前になります。
こうした寒さでもっとも困ることが水回りの凍結です。水道管にはすべてヒーターを巻いているのですが、それでもさまざまなトラブルが発生します。
はじめは風呂場の蛇口でした。蛇口にはヒーターを巻けませんのでその代わりに水抜きがついているのですが、この水抜きを忘れたところ凍結、破損し、付けたばかりのシャワー混合栓を交換しなければなりませんでした。以後蛇口回りにもヒーターを巻きつけています。
またヒーターの電源を入れ忘れたために泣きをみたこともありました。
初めての冬を迎えた時のこと、屋外のヒーターのコンセントを全部つないで「これでよし!」と安堵したのもつかの間、1箇所だけコンセントを入れ忘れているところがあったのです。それは家の中、洗濯機に接続している水道管のヒーターです。
冷え込みが強まりはじめたある朝、台所の蛇口から水が出なくなり、あわてふためいて調べてみて差し込まれていないコンセントを発見した時のショックは言葉にできません。
家の裏に埋設した水道管を掘り出して、破損した部分を切り離し、新しい水道管を接続します。次に接着剤が固まるのを待ってヒーターや保温材などのテープを巻きつけ、水漏れが無いことを確認してから土をかけます。泥まみれの面倒な作業ですが、不幸中の幸いだったのは破損部分が家の中の水道管でなかったことです。家の中でしたら壁を壊さない限り交換はできません。
さらに倉庫として購入したプレハブが水浸しになったこともあります。倉庫で水を使うことが無いので、村役場に連絡して水を止めてもらったのですが、元栓を締めたはずがなんらかの手違いで締まっていなかったのです。
それは忘れもしない、こちらに移って初めての年明け。実家で正月を過ごし、でっぷりと太ってもどって来たときのことです。
いつものように倉庫に行った私は驚きのあまり絶句しました。破裂した水道管(蛇口の部分)から水がシャワーのように吹き出ていて倉庫水浸し。涙。
この他にも小さなトラブルは多々ありましたが、それも少しずつ乗り越えてきました。
今は悩むことも徐々に少なくなってきたように思っています。知識があれば困らないことも多いので、移住を希望する方は先に移り住んだ人達にどのような困難が待ち受けているかあらかじめ聞いておくことが絶対に必要です。
私達の家は裏山に湧き出る水を引いて生活用水に使っています。ある日、この水がまったく出なくなったことがありました。
生活に支障があるばかりか、我が家の収入源であるパン焼きもできません。水道管が破裂していればもう一度水道管の掘り起こしと敷設をやらなければなりません。スコップで硬い土を延々と掘り起こしている姿を想像すると心臓が高鳴り冷や汗が出ました。
あわてて裏山にのぼり受水槽を確認するとからっぽ。
水源まで遡ってみると湧き水はこんこんと出ていて受水桝の中は沢ガニの楽園状態でした。
途中のパイプに原因があると思い、パイプを手繰るように見て行ってジョイントが外れていたのを発見した時の安堵感! ジョイントをつないで受水槽に水が流れた時の喜び! 家に戻って蛇口をひねって水が出た時の感激! 夫婦二人で手を取りあって喜びました。
こちらに来るまで蛇口をひねって水が出て感激したことは一度もありません。都会では絶対に味わえない数々の感動が田舎では待っています。
―知っておきたい田舎暮らしのトラブル―
田舎暮らしは何から何まで全て楽しいことばかりではなく、移住前には思いもよらなかったトラブルに見舞われたり、あるいは予想以上に不便なことに困惑するといったことがあります。そうした田舎暮らしにまつわる負の側面にも触れておかなければならないでしょう。
今回はその第1回目、生活編です。
<文明の利器は困り者>
私たち夫婦にとって一番つらいことは、電話回線がアナログであることです。ADSLや光回線どころか、ISDNさえ繋げず、結果として事実上インターネットが使えません。
一応繋がることは繋がっているのですが、メールに少し大きい写真が入っていると受信に数十分かかってしまったりパソコンがフリーズしたりします。ネットも1枚1枚画面が変わるのをディスプレーの前で延々と待たなくてはなりません。
そんな状況ですのでネットサーフィンや最近流行りだした映画の配信など望むべくもありません。ネットは生活の一部、不可欠となっている方は移住前に電話回線の確認が必要です。
なおアナログ回線ですとその後もさまざまなトラブルが待ち受けています。
都市部で使っていたコンピュータや新しいデスクトップなどはそのままでは使えずアナログ用のモデムを用意しなくてはなりません。しかし、今時アナログモデムを取り扱うところは少なく取り寄せもスムーズにいかない場合があります。
加えて、山間部では落雷、停電が多くちょっとした過電流でモデムやその周辺部品がこわれますのでその対策も必要になります。私たちもモデムが壊れる度それなりの対策を講じてきているのですが、今までコンピュータ関係で右往左往しなかった夏はありません。もちろん今年の夏もやられました。
なお、あまり山奥ですと電気を引いてもらえないことがあります。詳しく分からないので申し訳ないのですが、通常電気を引くのは無料ですが、一番近い電柱から一定の距離を超えると有料で、その場合の工事費負担がかなりの額になるとのことです。
携帯電話も圏外ということがあります。ここは数年前となりの村に電波塔が立てられましたので我が家でもアンテナをつければ繋がるそうです。テレビも裏山にアンテナを2本立てていますが、地上波の受信状況は最悪で映ったり映らなかったりです。
<雨が降れば体力づくり>
私たちにとって大きな悩みの2つめは道の補修です。舗装された町道に出るまで800メートルほど砂利道があるのですが、この砂利が雨が降るたび流されるのです。
「道」は山の地形の中では「溝」です。川に水が集まるのと同じ原理で道が水を集め、台風やちょっとした大雨で道に多量の水が流れます。アスファルトを敷けば砂利の流出は解決しますがそれには費用がかかり、その高額な費用負担ができない場合は、道を横断するように排水溝を掘るしかありません。U字溝を入れその周りをコンクリで固め蓋をするのですが、これも素人の手作業でできることではなく、私たちの場合は1本8〜10万円ほどで3本の排水溝を業者に作ってもらいました。
U字溝があるのと無いのでは大違いで、以後流される砂利の量は大幅に減りましたが、所詮は対処療法に過ぎませんのでときどきデコボコになった道の補修をしています。
町道、村道でもほとんど舗装されていますので、新しく家を探す場合はそうした道沿いの家をお勧めします。
<裏山がうらめしい>
この他、予想以上だったのが夏場のカビです。田舎の家というと北側に裏山を背負うことが多くなっていますが、この裏山の木々が放つ水蒸気が湿気となって下りてきて家をじっとりと湿らせます。
私たちはそれを知らなかったために大きな失敗をしました。家の補修をする際、家の北側の壁に使われていた板が腐り崩壊状態でしたので、修理するのではなく新しく作り直すことにしたのですが、その時窓を作らずすべて壁にしてしまったのです。
結果として家の中に風の通らない部分が多くなってしまいました。それも特に湿気の強い北側に。カビの繁殖力は猛烈です。しかも何か特定のものだけがかびるというのではなく、金属以外家の中にあるものすべてがかびるのです。食器棚も床もたたみもふとんも。
夏場は常に家中掃除するほか、除湿機をかけ、さらに布団や洗濯済みの衣類なども毎日のように日に当てなくてはなりません。
いきなり家を新築することはお勧めしていないのですが、もし家を建てられるときは、裏山から離すこと、床下の換気に配慮することが不可欠です。
<寒すぎる>
冬場の寒さも覚悟していた以上でした。標高600メートルを超える山の中の寒さは、都会でしか暮らしたことの無い私たちには強烈でした。
新しい家であればさまざまな防寒対策がほどこされているのでしょうが、古い民家には家全体を温めるといった考えがありません。こうした家屋では暖房機器が切られた後、すなわち私たちの就寝後際限なく冷え込みます。朝起きると家の中も氷点下、全てのものが凍り付いているのが当たり前になります。
こうした寒さでもっとも困ることが水回りの凍結です。水道管にはすべてヒーターを巻いているのですが、それでもさまざまなトラブルが発生します。
はじめは風呂場の蛇口でした。蛇口にはヒーターを巻けませんのでその代わりに水抜きがついているのですが、この水抜きを忘れたところ凍結、破損し、付けたばかりのシャワー混合栓を交換しなければなりませんでした。以後蛇口回りにもヒーターを巻きつけています。
またヒーターの電源を入れ忘れたために泣きをみたこともありました。
初めての冬を迎えた時のこと、屋外のヒーターのコンセントを全部つないで「これでよし!」と安堵したのもつかの間、1箇所だけコンセントを入れ忘れているところがあったのです。それは家の中、洗濯機に接続している水道管のヒーターです。
冷え込みが強まりはじめたある朝、台所の蛇口から水が出なくなり、あわてふためいて調べてみて差し込まれていないコンセントを発見した時のショックは言葉にできません。
家の裏に埋設した水道管を掘り出して、破損した部分を切り離し、新しい水道管を接続します。次に接着剤が固まるのを待ってヒーターや保温材などのテープを巻きつけ、水漏れが無いことを確認してから土をかけます。泥まみれの面倒な作業ですが、不幸中の幸いだったのは破損部分が家の中の水道管でなかったことです。家の中でしたら壁を壊さない限り交換はできません。
さらに倉庫として購入したプレハブが水浸しになったこともあります。倉庫で水を使うことが無いので、村役場に連絡して水を止めてもらったのですが、元栓を締めたはずがなんらかの手違いで締まっていなかったのです。
それは忘れもしない、こちらに移って初めての年明け。実家で正月を過ごし、でっぷりと太ってもどって来たときのことです。
いつものように倉庫に行った私は驚きのあまり絶句しました。破裂した水道管(蛇口の部分)から水がシャワーのように吹き出ていて倉庫水浸し。涙。
この他にも小さなトラブルは多々ありましたが、それも少しずつ乗り越えてきました。
今は悩むことも徐々に少なくなってきたように思っています。知識があれば困らないことも多いので、移住を希望する方は先に移り住んだ人達にどのような困難が待ち受けているかあらかじめ聞いておくことが絶対に必要です。
私達の家は裏山に湧き出る水を引いて生活用水に使っています。ある日、この水がまったく出なくなったことがありました。
生活に支障があるばかりか、我が家の収入源であるパン焼きもできません。水道管が破裂していればもう一度水道管の掘り起こしと敷設をやらなければなりません。スコップで硬い土を延々と掘り起こしている姿を想像すると心臓が高鳴り冷や汗が出ました。
あわてて裏山にのぼり受水槽を確認するとからっぽ。
水源まで遡ってみると湧き水はこんこんと出ていて受水桝の中は沢ガニの楽園状態でした。
途中のパイプに原因があると思い、パイプを手繰るように見て行ってジョイントが外れていたのを発見した時の安堵感! ジョイントをつないで受水槽に水が流れた時の喜び! 家に戻って蛇口をひねって水が出た時の感激! 夫婦二人で手を取りあって喜びました。
こちらに来るまで蛇口をひねって水が出て感激したことは一度もありません。都会では絶対に味わえない数々の感動が田舎では待っています。
第7話 草刈でメタボ解消の巻
08.09.30里山の味 天然工房
9月7日(日)は区民総出の草刈でした。毎年2回、7月・9月の日曜に設定され、区内の国道、及び主だった町道の雑草を刈り取ります。草刈自体は午前中3時間ほどで終わり、昼からはバーベキュー、夕方まで宴会が続きます。今回はこの草刈を報告します。
集合は公民館に7時半。私はいつものように少し早めに行って執行部のテーブルに出向き、そこで「本日の出席者リスト」を横目で確認し、どこの組(地区)になんという人がいるのか、かたっぱしから名前を暗記していきます。区の住民となって早5年、かなりの人の名前は覚えたのですが、まだ顔と名前、苗字と名前の一致しない人はいます。
参加者がぞろぞろと集まりだすと、今度はみんなの会話に集中し、誰をなんと呼んでいるかを聞き取り呼び名と名前を頭の中で照合します。
例えば「やっちゃん」と呼ばれている人は「康夫さん」なのか、「靖彦さん」なのか、それとも「保弘さん」なのか。「たもつさん」はA組の「鈴木たもつさん」なのか、それともB組の「佐藤たもつさん」なのか。
8時になると区長の挨拶や執行部からの注意などがあっていよいよ草刈の開始です。2〜3の組ごとにグループを作り指定された区域を刈り取っていきます。
草刈についてはじめの頃は不安がありました。当然のことながら刈り払い機の扱いはまったく不慣れでしかも雑草をどれくらい、どこまで刈ればいいのかよくわかりません。地元の方々のように上手に刈ることなどできるわけもなく、足手まといになるだけではないか、かえって迷惑なだけではないか、そうした気持ちを心の中に持っていました。
しかし心配はまったく無用でした。私のような初心者の参加に人々は限りなく寛容です。みんな私のまわりになにげなく寄ってきて傾斜の強い場所、縁石付近、潅木の混じる場所など面倒で難しいところをやってくれますし、またごくわずかですが、中には「この人、へたくそだ」と実感させられる人もいて、「それほど気を遣うこともないな」と自信を持つことができます。
午後からは宴会です。公民館前の広場に即席の会場を設営します。30センチ程に輪切りにしたドラム缶に熾した炭を入れ、1メートル四方の鉄板を載せればバーべキューテーブルの出来上がり。4つほどテーブルをつくり、その周りに折りたたみイスを並べれば宴会会場の完成です。
アルコールや食材の用意を含め宴会の準備は執行部の方々がやってくれますので、草刈が終わってみんな集まりだす頃には準備ばんたん、区長の挨拶も待ちきれずみんなビールを飲み始めます。
気心の知れた人達の輪に一人異端児が入り込む気まずさなんて当初からまったくありませんでした。私が行けば必ず「ここ、ここ座りなよ」といった声がかかります。またどのテーブルもアルコールが入る前から笑い声で満たされ盛り上がっている状況ですので、私もなんのためらいもなく自然にみんなの笑いの輪の中に入っていくことができるのです。
はじめの頃は、あちこちのテーブルから「北村さあん!」とか「北ちゃああん!」とお呼びがかかり、私は「ちょっと待って、今行きます!」と大声でいいながら、その場で話をしている人達に失礼にならないようタイミングを計りながら、お酒を持ってお呼びのかかったテーブルに走るということがよくありました。最近はさすがに少なくなってきましたけど。
今回はふゆちゃんが「これ、北村さんのだよ」といってイカを焼いてくれました。実は私は肉類が苦手でバーベキューといってもほとんど食べるものがありません。それを知っているふゆちゃんがわざわざ家に戻って私のためにイカを持ってきてくれたのです。
美味しそうに焼けているイカを見つけた隣のテーブルのふじおさんが「あっ、イカがある!」と箸を伸ばすと、みんな同時に「おめーんじゃねえ」「くっちゃあかん」と叫び、ふじおさんの驚く様子に大爆笑。
隣のテーブルに男たちが集まりだしました。まさおさんが草刈の合間に地バチの巣を掘ってきたといって持ってきてくれたのです。
「地バチ食べたこと無いでしょ。食べてきな」と周囲に促された私は、食べる勇気はないものの見てみたい誘惑にかられ、テーブルを取り囲んでいる人達の後ろから恐る恐る首をのばしました。
土色の20センチほどの円形の巣にびっしりと薄黄色の幼虫の詰まっているのが見えたと思った瞬間、神業の様な速さでテーブルからにょきっと手が伸びて「ほれ、北村さん!」。あっと思った時にはすでに遅く、私の手のひらにはつやつやプリプリ、なんともなまめかしい「幼虫」が乗っかっていたのです。
私の身体は生の動物性たんぱくをまったく受け付けません。どんなにお金を積まれても刺身だけは食べられません。お寿司といえば卵焼きとかっぱ巻きと蒸エビです。私はそういう体質の人間です。心の中では「昆虫といっても生ものは食べられない」と叫んでいたのですが、いかんせん貴重なものですし、みんな喜んで食べていますし、まさおさんが蜂に刺され顔面腫らして取ってきたものですし、みんな好意で私に勧めてくれているのですから私一人食べられないとはいえません。
意を決し勢いをつけて、えーィ、ままよ! と口に放り込むと、哀れ蜂の子はぶちゅっとつぶれて、濃厚な生クリームの感触が口内に広がりました。その時です。区長が寄って来て言いました。
「それ、食べると下痢するよ」
「おそい! おそいんです、区長! もう食べちゃったんだから。そういうことは食べる前に言わないと!」
区長が教えてくれたことは半分当たっていて、半分は当たっていませんでした。下痢をするというのは正解、はずれていたのはその程度。下痢なんてなまやさしいものではありませんでした。完全な食中毒です、食中毒。
強力な毒素の侵入を感知した私の身体は、意思とは無関係に緊急事態発生とばかりに自己防衛機能をフル活動、全身の細胞から水分という水分を搾り出して胃腸の大洗浄を開始したのです。
翌日は丸一日高熱を発し悪寒にガタガタと震えながら巣の中にずっぽり埋まる蜂の子のように布団に包まりました。2日めにようやく熱が下がり蜂の子状態を脱出、殺虫剤をかけられよたよたと巣から出てくる蜂のように布団から這い出ることができましたが、もうぐったりよれよれげっそりです。おかげでほんの少しですがメタボ改善です。
地元の方々に受け入れてもらえるか、地域に溶け込めるかは移住する前の大きな心配事の一つでした。
しかし、実際に移ってみると地域の方々と交流する幾つもの機会が用意されていて、こちらがこの地区の住民になりたいと願い受け入れてもらえるよう努力すれば、地元の方々と良好な関係を築くことは決して難しいことではないと思うようになりました。
そうした機会とは住民総出のイベントで草刈以外にも区の総会、収穫祭、盆踊りなどがあります。
田舎の人達は閉鎖的だ、この指摘を耳にすることが多々ありますが、私はそれは偏見であると確信しています。
塀や壁を立ててよそ者の侵入を防ぐというのなら、例えば都会人は家の周りに塀を立て、田舎人は集落の周りに塀を立てるといった違いではないでしょうか。集落の周りの弊は一見高く、大きく映るのです。しかし本当は都会の人達の方が狭いエリアを壁に囲う分、より立ち入りがたく閉鎖的であるのです。
移住に対する不安は移住する側にも、そして受け入れる地元にもあります。トラブルメーカーが移り住み地域の良好な人間関係にひびを入れる可能性もあるのです。受け入れる側がそうしたリスクを負っている点を、私達移住者は理解する必要があります。
長年培われてきたその土地のルールを尊重し、地域社会を乱さない心構えを持つこと、自分自身を殻に閉じ込めずオープンにすること、そうした最低限の礼儀を守れば過度な心配は不要です。今はそう感じています。
9月7日(日)は区民総出の草刈でした。毎年2回、7月・9月の日曜に設定され、区内の国道、及び主だった町道の雑草を刈り取ります。草刈自体は午前中3時間ほどで終わり、昼からはバーベキュー、夕方まで宴会が続きます。今回はこの草刈を報告します。
集合は公民館に7時半。私はいつものように少し早めに行って執行部のテーブルに出向き、そこで「本日の出席者リスト」を横目で確認し、どこの組(地区)になんという人がいるのか、かたっぱしから名前を暗記していきます。区の住民となって早5年、かなりの人の名前は覚えたのですが、まだ顔と名前、苗字と名前の一致しない人はいます。
参加者がぞろぞろと集まりだすと、今度はみんなの会話に集中し、誰をなんと呼んでいるかを聞き取り呼び名と名前を頭の中で照合します。
例えば「やっちゃん」と呼ばれている人は「康夫さん」なのか、「靖彦さん」なのか、それとも「保弘さん」なのか。「たもつさん」はA組の「鈴木たもつさん」なのか、それともB組の「佐藤たもつさん」なのか。
8時になると区長の挨拶や執行部からの注意などがあっていよいよ草刈の開始です。2〜3の組ごとにグループを作り指定された区域を刈り取っていきます。
しかし心配はまったく無用でした。私のような初心者の参加に人々は限りなく寛容です。みんな私のまわりになにげなく寄ってきて傾斜の強い場所、縁石付近、潅木の混じる場所など面倒で難しいところをやってくれますし、またごくわずかですが、中には「この人、へたくそだ」と実感させられる人もいて、「それほど気を遣うこともないな」と自信を持つことができます。
午後からは宴会です。公民館前の広場に即席の会場を設営します。30センチ程に輪切りにしたドラム缶に熾した炭を入れ、1メートル四方の鉄板を載せればバーべキューテーブルの出来上がり。4つほどテーブルをつくり、その周りに折りたたみイスを並べれば宴会会場の完成です。
アルコールや食材の用意を含め宴会の準備は執行部の方々がやってくれますので、草刈が終わってみんな集まりだす頃には準備ばんたん、区長の挨拶も待ちきれずみんなビールを飲み始めます。
気心の知れた人達の輪に一人異端児が入り込む気まずさなんて当初からまったくありませんでした。私が行けば必ず「ここ、ここ座りなよ」といった声がかかります。またどのテーブルもアルコールが入る前から笑い声で満たされ盛り上がっている状況ですので、私もなんのためらいもなく自然にみんなの笑いの輪の中に入っていくことができるのです。
はじめの頃は、あちこちのテーブルから「北村さあん!」とか「北ちゃああん!」とお呼びがかかり、私は「ちょっと待って、今行きます!」と大声でいいながら、その場で話をしている人達に失礼にならないようタイミングを計りながら、お酒を持ってお呼びのかかったテーブルに走るということがよくありました。最近はさすがに少なくなってきましたけど。
今回はふゆちゃんが「これ、北村さんのだよ」といってイカを焼いてくれました。実は私は肉類が苦手でバーベキューといってもほとんど食べるものがありません。それを知っているふゆちゃんがわざわざ家に戻って私のためにイカを持ってきてくれたのです。
美味しそうに焼けているイカを見つけた隣のテーブルのふじおさんが「あっ、イカがある!」と箸を伸ばすと、みんな同時に「おめーんじゃねえ」「くっちゃあかん」と叫び、ふじおさんの驚く様子に大爆笑。
隣のテーブルに男たちが集まりだしました。まさおさんが草刈の合間に地バチの巣を掘ってきたといって持ってきてくれたのです。
「地バチ食べたこと無いでしょ。食べてきな」と周囲に促された私は、食べる勇気はないものの見てみたい誘惑にかられ、テーブルを取り囲んでいる人達の後ろから恐る恐る首をのばしました。
土色の20センチほどの円形の巣にびっしりと薄黄色の幼虫の詰まっているのが見えたと思った瞬間、神業の様な速さでテーブルからにょきっと手が伸びて「ほれ、北村さん!」。あっと思った時にはすでに遅く、私の手のひらにはつやつやプリプリ、なんともなまめかしい「幼虫」が乗っかっていたのです。
私の身体は生の動物性たんぱくをまったく受け付けません。どんなにお金を積まれても刺身だけは食べられません。お寿司といえば卵焼きとかっぱ巻きと蒸エビです。私はそういう体質の人間です。心の中では「昆虫といっても生ものは食べられない」と叫んでいたのですが、いかんせん貴重なものですし、みんな喜んで食べていますし、まさおさんが蜂に刺され顔面腫らして取ってきたものですし、みんな好意で私に勧めてくれているのですから私一人食べられないとはいえません。
意を決し勢いをつけて、えーィ、ままよ! と口に放り込むと、哀れ蜂の子はぶちゅっとつぶれて、濃厚な生クリームの感触が口内に広がりました。その時です。区長が寄って来て言いました。
「それ、食べると下痢するよ」
「おそい! おそいんです、区長! もう食べちゃったんだから。そういうことは食べる前に言わないと!」
区長が教えてくれたことは半分当たっていて、半分は当たっていませんでした。下痢をするというのは正解、はずれていたのはその程度。下痢なんてなまやさしいものではありませんでした。完全な食中毒です、食中毒。
強力な毒素の侵入を感知した私の身体は、意思とは無関係に緊急事態発生とばかりに自己防衛機能をフル活動、全身の細胞から水分という水分を搾り出して胃腸の大洗浄を開始したのです。
翌日は丸一日高熱を発し悪寒にガタガタと震えながら巣の中にずっぽり埋まる蜂の子のように布団に包まりました。2日めにようやく熱が下がり蜂の子状態を脱出、殺虫剤をかけられよたよたと巣から出てくる蜂のように布団から這い出ることができましたが、もうぐったりよれよれげっそりです。おかげでほんの少しですがメタボ改善です。
地元の方々に受け入れてもらえるか、地域に溶け込めるかは移住する前の大きな心配事の一つでした。
しかし、実際に移ってみると地域の方々と交流する幾つもの機会が用意されていて、こちらがこの地区の住民になりたいと願い受け入れてもらえるよう努力すれば、地元の方々と良好な関係を築くことは決して難しいことではないと思うようになりました。
そうした機会とは住民総出のイベントで草刈以外にも区の総会、収穫祭、盆踊りなどがあります。
田舎の人達は閉鎖的だ、この指摘を耳にすることが多々ありますが、私はそれは偏見であると確信しています。
塀や壁を立ててよそ者の侵入を防ぐというのなら、例えば都会人は家の周りに塀を立て、田舎人は集落の周りに塀を立てるといった違いではないでしょうか。集落の周りの弊は一見高く、大きく映るのです。しかし本当は都会の人達の方が狭いエリアを壁に囲う分、より立ち入りがたく閉鎖的であるのです。
移住に対する不安は移住する側にも、そして受け入れる地元にもあります。トラブルメーカーが移り住み地域の良好な人間関係にひびを入れる可能性もあるのです。受け入れる側がそうしたリスクを負っている点を、私達移住者は理解する必要があります。
長年培われてきたその土地のルールを尊重し、地域社会を乱さない心構えを持つこと、自分自身を殻に閉じ込めずオープンにすること、そうした最低限の礼儀を守れば過度な心配は不要です。今はそう感じています。
第6話 妖怪で村おこしを の巻
08.09.14里山の味 天然工房
それはある寝苦しい真夏の夜の出来事でした。
草木も眠る丑三時、私たちはこの世のものとは思われぬ、今まで聞いたことも無い、そうまさに地獄からの死者の悲鳴ともいうべきおどろおどろしい声を聞いて寝床から飛び起きたのです。
「なんじゃあ、ゾンビの襲来かあ?!」と窓の外を見ると、山の中は静かな月夜の晩。しかし、そこに「ヒィィィィーーーーーッ」と断末魔の悲鳴が山に木霊します。
「いったいあの声はなんだろう?」私たち夫婦は顔を見合わせました。例えて言うなら(例えは悪いのですが)、誰かを(せっかくですので極悪人、裏金作りに奔走する検察官様・警察官様とか天下りの渡りを繰り返し私腹を肥やす元官僚様とか玉虫色の僧衣をひけらかして法外な拝み料を請求するお坊様など)(まじめな検察官様・警察官様、しっかり働くお役人様、良心的な拝み料を請求するお坊様ではありません、念のため)の首を「天誅じゃあ」といって絞めたとします。「もう死んだだろう」と手を緩めると、死んだはずの極悪人の肺に溜まっていた息が手を緩めるのにあわせ出てきて、気管を通る際にのどをふるわせます。「ヒィィィィーーーー」死体があげる悲鳴にのけぞります。といった感じです。
「なんだろう? なんと不気味な!」といったところで答えの分かるわけがありません。何かが襲ってくる気配もないので、私たちは恐怖に怯えながらも「とりあえず寝よう」とまた寝ました。
翌日、早速私は組内の方に聞きました。
「昨晩、地獄の底から湧き上がる悲鳴を聞いたんですが、あれはなんですか」
「あんた、あれを聞いたのけ。聞いてしまったのけ」
「聞いてしまったんです」
「それはピンカン鳥じゃ。夜中、山の中を歩いている時にピンカン鳥が鳴き出すと、あの声がどこまでもついてきてそれは恐ろしいだ」
私はこちらに来るまで鳥の鳴き声といえば、ピーチクパーチクとかカーカーというもので、多少芸のある鳥で、ホーホケキョ、カッコーくらいなものだと思っていました。あの地獄の叫喚が鳥の声だとは。自分の貧弱な先入観、固定観念を根底から覆された思いでした。
しかし鳥だとはいうものの、本当に鳥があんな地獄からの悲鳴をあげるのだろうか? 納得のいかない私は鳥に詳しい知人に聞いてみました。「真夏の夜、地獄の底から湧き出たようなオドロオドロシイ悲鳴を聞いたんだけど、地元ではピンカン鳥とよばれているんだけど、あれはなんだろう?」友人は答えました。
「それは妖怪ヌエである」
なんと明快な一発回答。「妖怪だったんだ。道理で!」私は100%納得しました。この米俵2俵を背負ったように重く圧し掛かっていた疑問が氷解した時の爽快感は例え様がありません。丹田に何かがストーンと落っこちた感覚です。腑に落ちるというやつでしょう。「妖怪だったんだあ」と思わず雄叫びガッツポーズです。
正式名称はオニツグミ(※)、自然環境豊かなところにしか生息しない鳥でした。
しかし、私にとっては鳥ではなくそれは100%妖怪です。妖怪が私の借りている敷地内に住んでいるとは。都市部にいた時、移住したあかつきにはあれもやろう、これもやろうと夢を膨らませ心の中に理想的な生活を思い描いていましたが、まさか妖怪と出会う(声を聞いただけですが)とは思いもしませんでした。想定外の大きな収穫に私は興奮しました。
ところでゲゲゲの鬼太郎の作者、水木しげる氏の出身地では妖怪で町おこしをやっていると聞いたことがあります。鬼太郎やネズミ男をはじめとした妖怪たちの彫像を町のあちこちにたてて観光客の誘致を図っているそうです。
しかし、どうでしょう。ここにはヌエしかいませんがホンモノの妖怪なのです。こちらの方が魅力的ではありませんか?
「妖怪ヌエとすごす旅。ヌエの鳴く夜は恐ろしやあ」
テント一張り一晩500円。現地集合現地解散。キャンプ用品持参、自炊。
とやれば大勢の申し込みがあるのではないでしょうか。キャンプなので旅館、民宿業の許可も不要ですし、送り迎えもなければこちらの手間もかかりません。我が家もパン屋をやっていますので、パン、コーヒーなど売ればひと夏でかなりの売り上げになるはずです。ありがたやヌエ様。
田舎は仕事が無い、就職できない、お金が稼げない、みんなそう言います。でもその一方で田舎はとっても良い所、ということは魅力溢れるところということで、その魅力をビジネスにつなげる知恵と実行力があればおそらくいくらでもビジネスは成立するのではないでしょうか。
ヌエ様の悲鳴は個体差が激しく、芸術的に不気味に鳴くものがいる一方、7〜8割方はおどろおどろしさに不満が残ります。そうした個体(たぶん若鶏)が鳴くたび私は夜の山に叫びます。「修行がたんねえぞー!! もっとがんばれえ〜」
(※)別名トラツグミか
それはある寝苦しい真夏の夜の出来事でした。
草木も眠る丑三時、私たちはこの世のものとは思われぬ、今まで聞いたことも無い、そうまさに地獄からの死者の悲鳴ともいうべきおどろおどろしい声を聞いて寝床から飛び起きたのです。
「なんじゃあ、ゾンビの襲来かあ?!」と窓の外を見ると、山の中は静かな月夜の晩。しかし、そこに「ヒィィィィーーーーーッ」と断末魔の悲鳴が山に木霊します。
「なんだろう? なんと不気味な!」といったところで答えの分かるわけがありません。何かが襲ってくる気配もないので、私たちは恐怖に怯えながらも「とりあえず寝よう」とまた寝ました。
翌日、早速私は組内の方に聞きました。
「昨晩、地獄の底から湧き上がる悲鳴を聞いたんですが、あれはなんですか」
「あんた、あれを聞いたのけ。聞いてしまったのけ」
「聞いてしまったんです」
「それはピンカン鳥じゃ。夜中、山の中を歩いている時にピンカン鳥が鳴き出すと、あの声がどこまでもついてきてそれは恐ろしいだ」
私はこちらに来るまで鳥の鳴き声といえば、ピーチクパーチクとかカーカーというもので、多少芸のある鳥で、ホーホケキョ、カッコーくらいなものだと思っていました。あの地獄の叫喚が鳥の声だとは。自分の貧弱な先入観、固定観念を根底から覆された思いでした。
しかし鳥だとはいうものの、本当に鳥があんな地獄からの悲鳴をあげるのだろうか? 納得のいかない私は鳥に詳しい知人に聞いてみました。「真夏の夜、地獄の底から湧き出たようなオドロオドロシイ悲鳴を聞いたんだけど、地元ではピンカン鳥とよばれているんだけど、あれはなんだろう?」友人は答えました。
「それは妖怪ヌエである」
なんと明快な一発回答。「妖怪だったんだ。道理で!」私は100%納得しました。この米俵2俵を背負ったように重く圧し掛かっていた疑問が氷解した時の爽快感は例え様がありません。丹田に何かがストーンと落っこちた感覚です。腑に落ちるというやつでしょう。「妖怪だったんだあ」と思わず雄叫びガッツポーズです。
正式名称はオニツグミ(※)、自然環境豊かなところにしか生息しない鳥でした。
しかし、私にとっては鳥ではなくそれは100%妖怪です。妖怪が私の借りている敷地内に住んでいるとは。都市部にいた時、移住したあかつきにはあれもやろう、これもやろうと夢を膨らませ心の中に理想的な生活を思い描いていましたが、まさか妖怪と出会う(声を聞いただけですが)とは思いもしませんでした。想定外の大きな収穫に私は興奮しました。
ところでゲゲゲの鬼太郎の作者、水木しげる氏の出身地では妖怪で町おこしをやっていると聞いたことがあります。鬼太郎やネズミ男をはじめとした妖怪たちの彫像を町のあちこちにたてて観光客の誘致を図っているそうです。
しかし、どうでしょう。ここにはヌエしかいませんがホンモノの妖怪なのです。こちらの方が魅力的ではありませんか?
テント一張り一晩500円。現地集合現地解散。キャンプ用品持参、自炊。
とやれば大勢の申し込みがあるのではないでしょうか。キャンプなので旅館、民宿業の許可も不要ですし、送り迎えもなければこちらの手間もかかりません。我が家もパン屋をやっていますので、パン、コーヒーなど売ればひと夏でかなりの売り上げになるはずです。ありがたやヌエ様。
田舎は仕事が無い、就職できない、お金が稼げない、みんなそう言います。でもその一方で田舎はとっても良い所、ということは魅力溢れるところということで、その魅力をビジネスにつなげる知恵と実行力があればおそらくいくらでもビジネスは成立するのではないでしょうか。
ヌエ様の悲鳴は個体差が激しく、芸術的に不気味に鳴くものがいる一方、7〜8割方はおどろおどろしさに不満が残ります。そうした個体(たぶん若鶏)が鳴くたび私は夜の山に叫びます。「修行がたんねえぞー!! もっとがんばれえ〜」
(※)別名トラツグミか
第5話 人の厚意で生きるの巻
08.08.31里山の味 天然工房
ゆきおちゃんの実家に住むことになり、この地区10軒(私たちが11軒目)で構成する組にも入れていただくことになりました。ゆきおちゃんもゆきおちゃんをご紹介くださった区長もいっしょの組なので心配はありません。
引越しが一段落した際に組の方々にご挨拶させていただく席を設けました。というと大げさですが、妻がパン屋を始めていましたので、パンやピザとアルコールを少し用意した程度のことです。
ところが、実際に組の方々がいらした時、私たちは面くらいました。一人ひとり、みんな金一封を持ってくるのです。「いや、そんなつもりじゃありませんし、ただ自己紹介というか、ちょっと挨拶させていただきたいと、それだけですから」「まあまあ」「いや、そんな、たいした準備もしていませんし」「いや、そういうわけにはいかねえ」
次から次へと訪れる組の方々が「お礼」「寸志」を無理やり手渡します。この時は驚き、戸惑っただけでしたが、その後組内の付き合いを続ける中で少しずつこの地区の慣例というものが分かってきました。
一つの家に大きな経済的な負担を掛けない、それは狭い地域社会の中で培われた昔からの知恵なのです。
お互いに負担や迷惑をかけずに相互扶助をする、それが狭い地域がうまく生き残っていくための知恵であり、文化でもあるのです。みんなこうした風土の中で生まれ育ってきていますので、間違いなく義理がたく、そして面倒見がいいのです。
「実はあんた達が住むとこなくて困っているって知ってたんだ。でも見も知らずの人達に貸してやる必要はないだろ。でもAが来て貸してやれっていう。断るとBが貸してやれっていう。断るとCが来て貸してやれっていう。あんまりみんなが貸してやれっていうからそんじゃ勝手に住めっていったんだ」
付き合い始めてしばらくした時、ゆきおちゃんから実家を貸すに至った事情を聞いて驚きました。そんなに多くの方々がゆきおちゃんを説得してくれていたとは全く知らなかったのです。
どうしてみんなそんなに私たちのことを気にかけてくれたのでしょう。その疑問もまた別の機会に組内の方(Fさん)の話で解決しました。「おれが面倒をみてやる」そういった区長が区の総会で私たちを区で受け入れるようと提言し、区民に理解を求めていたのです。Fさんはその後も区長がよそ者の移住に反対する人達に対して「ものすごく気を遣いながら一生懸命説得していた」ことを教えてくれました。
私たちはここで「この世の天国」を満喫しています。しかし、それは区長、ゆきおちゃんをはじめ組内の方々、区民の方々の理解があってのことなのです。
人間関係の濃密な小さなコミュニティーにいきなり外部から赤の他人が移り住めば、地域の人々は困惑するのが当たり前です。ここの区民になれたのも、スムーズに組に入れてもらえたのも、そして地域の方々がいろいろと面倒見てくださるのも区長の事前の根回しがあってのことなのです。
田舎暮らしを希望する人がいきなり土地、あるいは住居を購入することを私はお勧めしません。無人島に行くならいざ知らず、田舎といってもそこにはその地に住む人達がおり、その方々が作り上げた社会、秩序、そして文化があります。少なくともそれを乱さず尊重する気構えと地域に受け入れていただく謙虚な心構えを持った上で、まず仮移住すべきです。そして、地域の方々とうまくやっていけることが確認できたら、それから土地や家屋の購入を検討すればよいのです。
一旦組に入れていただければ、組の方々がみんなで面倒みてくれますので、田舎暮らしはとても居心地がよくなります。
ゆきおちゃん「薪ならいくらでもやるぞ」
私「ながおさん(仮名)も、とよかっちゃん(仮名)も炭いっぱいくれっから冬はぬくぬくしてる」
ゆきおちゃん「野菜は作らんのか」
私「ともちゃん(仮名)がいつも『なっぱあんのけ』って電話くれてクルマ一杯くれるから作る必要ね」
田舎暮らしとは、希薄な人間関係から濃密なそれへの転換です。しかし、それは本来あるべき古き良き日本社会へ戻ることでもあるのです。
仲間意識を持って小さな共同体を作る、その共同体の一員となる、それは人間の帰属意識という根源的な欲求を満たします。
人間って、お互い支えあえば結構生きていけるもんだ。田舎にいて実感することです。
ゆきおちゃんの実家に住むことになり、この地区10軒(私たちが11軒目)で構成する組にも入れていただくことになりました。ゆきおちゃんもゆきおちゃんをご紹介くださった区長もいっしょの組なので心配はありません。
引越しが一段落した際に組の方々にご挨拶させていただく席を設けました。というと大げさですが、妻がパン屋を始めていましたので、パンやピザとアルコールを少し用意した程度のことです。
ところが、実際に組の方々がいらした時、私たちは面くらいました。一人ひとり、みんな金一封を持ってくるのです。「いや、そんなつもりじゃありませんし、ただ自己紹介というか、ちょっと挨拶させていただきたいと、それだけですから」「まあまあ」「いや、そんな、たいした準備もしていませんし」「いや、そういうわけにはいかねえ」
次から次へと訪れる組の方々が「お礼」「寸志」を無理やり手渡します。この時は驚き、戸惑っただけでしたが、その後組内の付き合いを続ける中で少しずつこの地区の慣例というものが分かってきました。
一つの家に大きな経済的な負担を掛けない、それは狭い地域社会の中で培われた昔からの知恵なのです。
お互いに負担や迷惑をかけずに相互扶助をする、それが狭い地域がうまく生き残っていくための知恵であり、文化でもあるのです。みんなこうした風土の中で生まれ育ってきていますので、間違いなく義理がたく、そして面倒見がいいのです。
「実はあんた達が住むとこなくて困っているって知ってたんだ。でも見も知らずの人達に貸してやる必要はないだろ。でもAが来て貸してやれっていう。断るとBが貸してやれっていう。断るとCが来て貸してやれっていう。あんまりみんなが貸してやれっていうからそんじゃ勝手に住めっていったんだ」
付き合い始めてしばらくした時、ゆきおちゃんから実家を貸すに至った事情を聞いて驚きました。そんなに多くの方々がゆきおちゃんを説得してくれていたとは全く知らなかったのです。
どうしてみんなそんなに私たちのことを気にかけてくれたのでしょう。その疑問もまた別の機会に組内の方(Fさん)の話で解決しました。「おれが面倒をみてやる」そういった区長が区の総会で私たちを区で受け入れるようと提言し、区民に理解を求めていたのです。Fさんはその後も区長がよそ者の移住に反対する人達に対して「ものすごく気を遣いながら一生懸命説得していた」ことを教えてくれました。
私たちはここで「この世の天国」を満喫しています。しかし、それは区長、ゆきおちゃんをはじめ組内の方々、区民の方々の理解があってのことなのです。
人間関係の濃密な小さなコミュニティーにいきなり外部から赤の他人が移り住めば、地域の人々は困惑するのが当たり前です。ここの区民になれたのも、スムーズに組に入れてもらえたのも、そして地域の方々がいろいろと面倒見てくださるのも区長の事前の根回しがあってのことなのです。
一旦組に入れていただければ、組の方々がみんなで面倒みてくれますので、田舎暮らしはとても居心地がよくなります。
ゆきおちゃん「薪ならいくらでもやるぞ」
私「ながおさん(仮名)も、とよかっちゃん(仮名)も炭いっぱいくれっから冬はぬくぬくしてる」
ゆきおちゃん「野菜は作らんのか」
私「ともちゃん(仮名)がいつも『なっぱあんのけ』って電話くれてクルマ一杯くれるから作る必要ね」
田舎暮らしとは、希薄な人間関係から濃密なそれへの転換です。しかし、それは本来あるべき古き良き日本社会へ戻ることでもあるのです。
仲間意識を持って小さな共同体を作る、その共同体の一員となる、それは人間の帰属意識という根源的な欲求を満たします。
人間って、お互い支えあえば結構生きていけるもんだ。田舎にいて実感することです。
第4話 雪かきするゆきおちゃん(仮名)の巻
08.08.16 「あの家を建て替えようかとも思ったんだ。生まれ育ったところだし。でもただ1つだけ嫌だったのが雪かきだ。雪が降っちまうと雪かきしなけりゃ家から出られねえ。子供の頃から雪かきするのが辛かったんだ。それで雪かきしなくてもいい国道沿いに移ったんだ」
挨拶に伺った私たちにゆきおちゃんはそう言ったのです。
2003年の8月私たち夫婦に朗報が飛び込みました。「ゆきおが空き家になってる実家を貸してもいいといってるよ」お世話になっていた職場近くの地区長がそういってくれたのです。
田舎暮らしはまず住居探しから始まります。私たちの場合は伝手がまったく無かったため、Iターン受け入れを行っている自治体を探すことからスタートしました。
福島県内、移住支援を行っている複数の自治体を尋ね歩き、空き家を紹介していただき、大家さんと交渉し、そして最終的に茨城県に程近い阿武隈山地内に落ち着いたのです。ただ、その後仕事の関係で購入した倉庫まで距離がありましたので、できれば職場に近い所に新しい住居を見つけることができればと考えるようになっていました。
そんな折、職場に隣接する地区の区長が現れ「俺が面倒みてやろう」と声を掛けてくださったのです。
ゆきおちゃんの実家は、町道から未舗装の農道を800メートルほど入ったドンつまり。360度山に囲まれ緑に埋もれた一軒家。築50年、空家になってしばらく経っており朽ち果てる寸前でした。古民家といえば聞こえはいいものの、実態は限りなく廃屋でしたが、補修すれば住むことは可能です。私たちには願っても無い大変有難いお話でした。
ちなみに、元田んぼの耕作放棄地4町歩、その他あちこちが付いて、家賃は月2500円です。
「こんなところで家賃はとれない」というゆきおちゃんに「タダというわけにはいきません」といったところ、「それじゃあ」といって提示された金額は3万円。「月」3万かと思ったら「年」3万円でした。
後に分かったのですが、この土地の固定資産税がほぼ3万円。実際にはタダで貸してもらったことと同じです。
地元の方々に「固定資産税しか払っていないんですよ」というと、「ゆきおがあんたたちにやったんだ。あんた達の土地だ」そうした答えが返ってきます。確かにゆきおちゃんにしてみればタダでくれてやるくらいのつもりでなければ「貸してやる」とは言えなかったでしょう。
ゆきおちゃんの実家に移って初めての冬を迎えた時のことです。地球温暖化が進む現在、阿武隈山地に大雪が降ることは多くはありませんが、それでもひと冬に数回は数十センチの雪が積もります。一旦雪が積もってしまえば町道までの雪かきなどできるわけが無く身動きがとれません。
「晴耕雨読。これぞ田舎暮らしの理想ではないか、ここから出られるまで読書三昧だ!」大雪が降った日、私たち夫婦は大喜びで「明日はのんびりしよう。まず朝寝坊だ」と惰眠のむさぼりを決め込みました。
ところが、翌朝私たちの安眠はガーガーと重くうなるエンジンの音で妨げられました。この静かな山奥で何事かと飛び起きて窓の外を覗いてびっくり。ゆきおちゃんが重機で雪かきをしていたのです。顔を出した私を見てゆきおちゃんは「いつまで寝てんだ。早く働けえ!」とどなりました。
トラクターの構造は全く分からないのですが、ゆきおちゃんの使っているトラクターはショベルを後方に取り付けます。ハンドルは前についていますので、ゆきおちゃんは後ろに身体を180度ねじってトラクターをバックさせながら雪かきをするのです。
町道まで800メートルはいくらトラクターを使っているとはいえかなりの作業量、「首がつかれっちまうし、腰も痛えし」というゆきおちゃんに「無理せんでええから」というのですが、「雪かきしなけりゃ、出れねっぱい」といって最後までやってくれるのです。
こちらに移ってまる4年、この間雪の降り積もることが幾度もありました。その度、必ずゆきおちゃんは雪かきに駆けつけます。一度たりともサボったことはありません。皆勤賞です。
雪かきが嫌だといって国道沿いに移ったのに「雪かきは俺の趣味。好きでやってんだ。俺は雪かきが好きなんだあ。ほっといてくれえ」と叫びなら雪かきするゆきおちゃんを見ていると、人生思い通りにはならないと、つくづく思います。
挨拶に伺った私たちにゆきおちゃんはそう言ったのです。
2003年の8月私たち夫婦に朗報が飛び込みました。「ゆきおが空き家になってる実家を貸してもいいといってるよ」お世話になっていた職場近くの地区長がそういってくれたのです。
田舎暮らしはまず住居探しから始まります。私たちの場合は伝手がまったく無かったため、Iターン受け入れを行っている自治体を探すことからスタートしました。
福島県内、移住支援を行っている複数の自治体を尋ね歩き、空き家を紹介していただき、大家さんと交渉し、そして最終的に茨城県に程近い阿武隈山地内に落ち着いたのです。ただ、その後仕事の関係で購入した倉庫まで距離がありましたので、できれば職場に近い所に新しい住居を見つけることができればと考えるようになっていました。
そんな折、職場に隣接する地区の区長が現れ「俺が面倒みてやろう」と声を掛けてくださったのです。
ちなみに、元田んぼの耕作放棄地4町歩、その他あちこちが付いて、家賃は月2500円です。
「こんなところで家賃はとれない」というゆきおちゃんに「タダというわけにはいきません」といったところ、「それじゃあ」といって提示された金額は3万円。「月」3万かと思ったら「年」3万円でした。
後に分かったのですが、この土地の固定資産税がほぼ3万円。実際にはタダで貸してもらったことと同じです。
地元の方々に「固定資産税しか払っていないんですよ」というと、「ゆきおがあんたたちにやったんだ。あんた達の土地だ」そうした答えが返ってきます。確かにゆきおちゃんにしてみればタダでくれてやるくらいのつもりでなければ「貸してやる」とは言えなかったでしょう。
ゆきおちゃんの実家に移って初めての冬を迎えた時のことです。地球温暖化が進む現在、阿武隈山地に大雪が降ることは多くはありませんが、それでもひと冬に数回は数十センチの雪が積もります。一旦雪が積もってしまえば町道までの雪かきなどできるわけが無く身動きがとれません。
「晴耕雨読。これぞ田舎暮らしの理想ではないか、ここから出られるまで読書三昧だ!」大雪が降った日、私たち夫婦は大喜びで「明日はのんびりしよう。まず朝寝坊だ」と惰眠のむさぼりを決め込みました。
ところが、翌朝私たちの安眠はガーガーと重くうなるエンジンの音で妨げられました。この静かな山奥で何事かと飛び起きて窓の外を覗いてびっくり。ゆきおちゃんが重機で雪かきをしていたのです。顔を出した私を見てゆきおちゃんは「いつまで寝てんだ。早く働けえ!」とどなりました。
トラクターの構造は全く分からないのですが、ゆきおちゃんの使っているトラクターはショベルを後方に取り付けます。ハンドルは前についていますので、ゆきおちゃんは後ろに身体を180度ねじってトラクターをバックさせながら雪かきをするのです。
町道まで800メートルはいくらトラクターを使っているとはいえかなりの作業量、「首がつかれっちまうし、腰も痛えし」というゆきおちゃんに「無理せんでええから」というのですが、「雪かきしなけりゃ、出れねっぱい」といって最後までやってくれるのです。
こちらに移ってまる4年、この間雪の降り積もることが幾度もありました。その度、必ずゆきおちゃんは雪かきに駆けつけます。一度たりともサボったことはありません。皆勤賞です。
雪かきが嫌だといって国道沿いに移ったのに「雪かきは俺の趣味。好きでやってんだ。俺は雪かきが好きなんだあ。ほっといてくれえ」と叫びなら雪かきするゆきおちゃんを見ていると、人生思い通りにはならないと、つくづく思います。









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